レオポルド・ブルームへの手紙
2006/2/19
Leo
2002年,イギリス=アメリカ,103分
- 監督
- メヒディ・ノロウジアン
- 脚本
- アミール・タジェディン
- マッシー・タジェディン
- 撮影
- ズービン・ミストリー
- 音楽
- マーク・アドラー
- 出演
- ジョセフ・ファインズ
- エリザベス・シュー
- ジャスティン・チェンバース
- デボラ・カーラ・アンガー
- デニス・ホッパー
- サム・シェパード
ミシシッピ州の刑務所を出た無口な男スティーヴンはモーテルの仕事につく。彼は物語を書いて弁護士に送っていたが、そんな彼を支えるのはレオポルド・ブルームという少年から送られてきた手紙だった。
一方、大学教授と結婚し自分の未来をあきらめたメアリーは夫の同僚の奥さんから夫が浮気をしていると聞いて激しく動揺し、それまで鬱積していた不満が一気に噴出する…
ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をモチーフにした味のあるドラマ。監督のメヒディ・ノロウジアンはこれが長編デビュー作。
この映画が今ひとつとらえどころがないのは『ユリシーズ』を読んでいないに等しいからだろうか。しかし、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』といえば難解な小説として有名、この映画を見る人のどれだけが『ユリシーズ』を読み、それがこの映画にどのように反映されているのかを読み取ることができるというのだろうか。
そう考えると『ユリシーズ』のことは忘れたほうがいいのかもしれない。「レオポルド・ブルーム」という『ユリシーズ』の主人公の名前に引っ張られすぎずに作品を観たほうが本当の意味が見えてくるのだろう。
しかしそうすると、この物語は当たり前すぎる物語になってしまうのではないかとも思う。手紙をくれたレオポルド・ブルームとスティーヴンとの関係が謎として物語を引っ張って行きはするし、出所後のスティーヴンと彼が働くモーテルの人々との関係もおもしろいドラマを紡ぎだしはするけれど、それはあくまでも散漫な小さな物語の集まりであって、映画全体を貫くひとつの大きな物語が見てこないのだ。
だからやはり『ユリシーズ』は重要なのだ。『ユリシーズ』のレオポルド・ブルームがもつ意味がこの物語に大きな意味をもたらしていると考えるべきなのだ。
なので、ここで『ユリシーズ』について考えてみる。この作品はジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をモチーフにした作品だが、ジェイムズ・ジョイスはギリシャ神話の『オイディプス』をモチーフに『ユリシーズ』を書いたという。私は『ユリシーズ』を手に取り、読んでは見たのだが、ちっとも意味はわからなかった。しかし、それがオイディプス神話の派系であるということはわかったし、そのことは小説そのものを読まない人々にも知られたことである。そしてオイディプス神話といえば、母親の不義の物語であり、息子と父の物語である。そしてまたエディプス・コンプレックスとも結びつくものでもある。
したがって、この映画もまた母親の不義と父親との関係の物語であるということになる。それは、不義の子であるということを知らない息子とその父の関係、母親に愛されないということ、などなどという“抑圧”がもたらしたレオポルド・ブルームの物語なのだ。
しかし、映画では今ひとつそれが見えてこない。結局レオポルド・ブルームとスティーヴンの関係の謎に目が行ってしまって、映画のテーマになるべきその部分が見えてこないのである。観ているだけならば、それなりにおもしろく、物語にも引き込まれるが、それ以上ではなく、『ユリシーズ』というモチーフが示唆する哲学的な何かは出てこない。そこが何か物足りない。