変態村
2006/2/25
Calvaire
2004年,ベルギー=フランス=ルクセンブルグ,94分
- 監督
- ファブリス・ドゥ・ヴェルツ
- 脚本
- ファブリス・ドゥ・ヴェルツ
- ロマン・プロタ
- 撮影
- ベノワ・デビエ
- 音楽
- ヴァンサン・カエイ
- 出演
- ローラン・リュカ
- ジャッキー・ベロワイエ
- フィリップ・ナオン
- ジャン=リュック・クシャール
- ブリジット・ラーエ
老人ホームでの例年のステージを終えた歌手のマルクは、クリスマス・イブの公園のため南仏に向かう。その途中、大雨にたたられ、看板を目にしたペンションに向かおうとするが、途中で車がストップ、通りかかった男にペンションまで案内してもらう。
ギャスパー・ノエと並び賞されるベルギーの映画監督ファブリス・ドゥ・ヴェルツのデビュー作。血や炎の赤が非常に印象的。
この映画はすべてが狂気に彩られている。映画の最初は、歌手のマルクが毎年、ステージをするために訪れるらしい老人ホームから始まる。ここでマルクは老人ホームに入っている老婆や、職員の中年女などからモーションをかけられるが、これも毎年のことらしく、マルクは適当にあしらって老人ホームをあとにする。
このエピソードはあくまで物語の導入なわけだが、このあとに来る狂気の物語との対比ともなっているし、伏線ともなっているわけだ。ひとつには彼が強いセックスアピールを持ち、だれに対しても性的魅力を振りまくような存在であることを暗示し、同時に老婆や中年女のモーションは(自分の裸の写真を贈っても)正常の範囲内にあるということを示している。
この老人ホームから南仏へ旅する途中ペンションの看板を見て、森の中の道を入ったときから、彼は狂気の世界へと足を踏み入れる。その正常な世界と狂気の世界との対比を彼女達は示しているのだ。
そして、彼の入り込んだ村はとにかくすべてが狂気に覆われているから、彼にはまったく理解することが出来ない。ペンションの主人が妻に逃げられ、妻が歌が好きだったことから、マルクを妻だと思い込むという説明をつけることは出来るが、それを理解することはまったく出来ない。それは見ている観客にとっても同じことである。
この「理解できない」ということはこの村のすべてにいえる。いなくなった犬を探す青年、酒場で男同士で踊る奇妙なダンス、マルクを奪い合おうとする村人達の意図。マルクはそれらがまったく理解できないままただただ恐怖に襲われ、観客もそれらが理解できないまま、恐怖に襲われる。
もちろん、この物語には受難と贖罪の物語がこめられている。それはマルクがキリストと同じようにはりつけられることからも明らかだ。十字架に結わえ付けられ、手に釘を打ち込まれる、そのキリストの受難を再現するマルクは贖罪者なのである。
だとすると、この物語はキリストの受難の物語のメタファーなのだろうか。自分を迫害した人々を赦したキリストと同じように、マルクもこの人々を愛するのだろうか。
そうだとしても、やはりそれが意味するところはよくわからない。
赤が印象的な映像の強烈さと、わけのわからない恐怖は印象に残るが、特に映像的に美しいわけでもないし、ホラー映画でもないので、結局なにが描きたかったのか… という疑問は残る。