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青春群像

2006/3/22
I Vitelloni
1953年,イタリア=フランス,116分

監督
フェデリコ・フェリーニ
脚本
フェデリコ・フェリーニ
エンニオ・フライアーノ
トゥリオ・ピネッリ
撮影
オテッロ・マルテッリ
ルチアーノ・トラザッティ
カルロ・カルリーニ
音楽
ニーノ・ロータ
出演
フランコ・ファブリッツィ
アルベルト・ソルディ
レオノーラ・ルフォ
リカルド・フェリーニ
ジャン・ブロシャール
preview
 北イタリアの小さな港町、そこののらくら青年たちの一人リカルドの妹サンドラがその年のミスに選ばれる。そのサンドラは実はリカルドの仲間で浮気者のファウストに妊娠させられていた。ファウストは逃げるように旅立とうとするが、彼の父親は彼を結婚させようとし、実際にそのようになる。
 フェリーニが生まれ故郷への憧憬を込めながら、いつの時代にも見られるのらくら青年たちを描いた青春映画。
review

 この作品を観ると、フェリーニの作品というのはどうして面白いのかということが本当にわからなくなる。この作品もおもしろくて、ついつい引き込まれてしまうのだが、いったい何がおもしろいのか。話としては、田舎町で仕事もせずにぶらぶらしているのらくら青年仲間のファウスト、レオポルド、アルベルト、リカルドの日常を描いたものに過ぎない。そして、その中の一人ファウストがリカルドの妹サンドラといわゆる“できちゃった結婚”をさせられ、それでも浮気性は治らないという話である。
 観ていて一番に感じるのは、このファウストに対する苛立ちだ。自分を愛してくれる妻がいて、子供も出来ようとしているのに、どうでもいい女と浮気をしようと一生懸命で、世話してもらった仕事もまともにはやらず、本当にのらくらというか、どうしようもない若者を絵に描いたような奴なのだ。このファウストに対する苛立ちというのが観客に共通の感覚として呼び起こされる。
 これは決して心地よい映画体験ではない。しかし、なぜかひきつけられてしまう。このファウストはどうなるのか、そして彼の仲間たちはどうなるのか、そのことが観客の心を捉えてはなさない。この映画にそのような効果が生まれるのは、フェリーニらしい細かな描写、モチーフがある。例えば、リカルドと駅で働く少年のエピソード。夜中に無目的に町を歩き回るリカルドが夜中に一人で歩く少年に出会う。リカルドは少年に何をしているのだと聞くが、少年は駅での仕事に向かうところだと答える。リカルドにしてみれば、午前3時に仕事に向かうなどというのは想像すらしたことのない生活だったろう。この出会いが彼の心に何かを落とし、ふたりがベンチで話すシーンはもう一度繰り返される。
 あるいは、あるパーティーのシーン酔っ払ったアルベルトは調子ハズレの曲を吹くラッパ吹き(このラッパの音は本当に耳障りだ)に悪態をつくが、その奥ではレオポルドが隣の家の女中といつまでも踊っている(もはや残っているのはこの4人だけ)。この一瞬の描写で、彼らのたまりにたまった鬱屈が表現される。仕事もせずに、のらりくらりと生きているような青年たち、しかし彼らの心の中にも実は焦燥感と不満の鬱積がある。それをフェリーニはさらりと表現する。
 そのまさに青春というべき心情を誰もが記憶しており、そこに何らかのノスタルジーを感じるからこそフェリーニの作品はおもしろいのかもしれない。彼らは少々その青春を長引かせすぎ、そのために焦燥感と鬱窟に襲われているわけだが、そこに青春の甘さと苦さを共存させているわけだ。

 ただ、この物語の結末でファウストが改心するというところにはフェリーニの若さも感じさせる。散々浮気をしてきたファウストが妻が家出をしたことですっかり改心するという展開はなんとも青臭い気がしてならない。そんな簡単なことで浮気心が治るなら、30歳までぶらぶらしてなどいないのではないか。
 それに対して、最後にリカルドが誰にも告げずに旅立つという結末はいかにもフェリーにらしい。人生は旅であり、移動することによって新たな人生が始まる。リカルドにどのような運命が待っているかはわからないが、彼は街でくすぶっている仲間たちから離れ、本当の人生をスタートさせるのだ。その点では結局町にとどまるレオポルドとはまったく対照的だ。青春の終焉における、それぞれの選択、そこにはフェリーニの人生に対する考え方が垣間見える。

Database参照
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監督順: 
国別・年順: イタリア

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