コールド・マウンテン
2006/4/8
Cold Mountain
2003年,アメリカ,155分
- 監督
- アンソニー・ミンゲラ
- 原作
- チャールズ・フレイジャー
- 脚本
- アンソニー・ミンゲラ
- 撮影
- ジョン・シール
- 音楽
- ガブリエル・ヤーレ
- 出演
- ジュード・ロウ
- ニコール・キッドマン
- レニー・ゼルウィガー
- ドナルド・サザーランド
- ナタリー・ポートマン
- フィリップ・シーモア・ホフマン
1864年、ピータースバーグの戦いで瀕死の重傷を負ったインマン、彼は3年前に故郷のコールドマウンテンで出会った牧師の娘エイダへの想いで何とか生きながらえる。一方のエイダもいつ帰るとも知れぬインマンをただ待ち続ける生活を送っていた…
『イングリッシュ・ペイシェント』のアンソニー・ミンゲラ監督の恋愛ドラマ。全体に平凡な出来の中、アカデミー賞も獲得したレニー・ゼルウィガーの存在感だけが救いか。
南北戦争を巡る恋愛劇というあまりにアメリカ的なこの映画、一度キスをしただけの男女が戦争で離れ離れになりながらも相手のことを想い続け、その想いを唯一の支えにして生き残って行くというなんとも鼻白い話であり、しかもこのように2行に凝縮できてしまう話でしかない。
しかも、その主役のふたりを演じるジュード・ロウとニコール・キッドマンがなんとも平凡。ジュード・ロウの薄汚れた姿というのはそれなりに見所といえなくもないが、キャラクターとしてはここまで清廉潔白で人間に見溢れた人間というのはあまりに非現実的すぎてとてもじゃないが感情移入はできない。人種差別が当然だった南北戦争当時の南部で、このように現代的な価値観と強固な意志を持ち、しかも情け深いなんてのはスーパーマン以外の何者でもありえない。そのあたりで今ひとつ物語に入っていけない。そして、もう一人のニコール・キッドマンははっきり言えば見飽きた。ただコスプレをしているというだけでいつもと同じ演技、しかも演じているのが深窓のお嬢様じゃあ個性を発揮する部分などありはしない。
だから主プロットを見る限り、この映画はあまりに平凡な作品というしかない。スターをふたり並べて、脇役にも豪華な配役をして、冒頭にはど派手な爆破シーンを持ってきても平凡な映画は平凡な映画なのだ。
そんな平凡な映画を救ったのはレニー・ゼルウィガーである。物語りも中盤に差し掛かった頃ようやく登場し、南部訛バリバリの強烈なキャラクターで観客を魅了する。それもそのはずレニー・ゼルウィガーの出身はテキサス州、両親はスイス人とノルウェー人と完全にヨーロッパ人なのだが、大学もテキサス大学というバリバリのテキサスっ子である。つまり、世が世なら彼女自身ルビー・シューズのような人生を送っていたかもしれないということである。
それだけに、この役はピタリとはまった。レニー・ゼルウィガーの登場シーンはグッとおもしろく、ついつい引き込まれてしまう。膠着していた物語もこのルビー・シューズの登場によってまわり始め、観客もエイダに共感してようやく居所を見つけられる。はっきり言ってこの作品はとんでもない駄作になるところをレニー・ゼルウィガーによってようやく救われた。もちろん彼女ひとりの貢献ではなく、このルビー・シューズというキャラクターを効果的に利用したアンソニー・ミンゲラによるところも大きいわけだが、観ている側の印象としてはとにかくレニー・ゼルウィガーである。だからレニー・ゼルウィガーが獲り、ジュード・ロウが獲れなかったアカデミー賞にも納得である。
話は変わるが、南北戦争というアメリカ人にとってのノスタルジーの対象が結局のところアメリカ人同士の憎しみ合い、殺し合いでしかなかったということが見て取れるのはイギリス出身のアンソニー・ミンゲラならではの皮肉なのかもしれない。今は世界の警察のような顔をしているアメリカが実は恐怖と憎しみと殺し合いの中から誕生した国であるということを皮肉交じりに語っているのではないか。
そういえば、出演している役者たちも、ジュード・ロウはイギリス、ニコール・キッドマンはオーストラリア、ドナルド・サザーランドはカナダ、ナタリー・ポートマンはイスラエル、レニー・ゼルウィガーは上に書いたようと、いかにもなアメリカの役者というのがいない。
いかにもアメリカ的な南北戦争を題材としながら、本当にアメリカ的なものから微妙にずらし、アメリカという虚像の仮面をはがすとまでいうと言いすぎだろうが、どこか非常に素直ではないものを感じる。