キューティ・ブロンド/ハッピーMAX
2006/4/13
Legally Blonde 2: Red, White and Blonde
2003年,アメリカ,95分
- 監督
- チャールズ・ハーマン=ワームフェルド
- 脚本
- ケイト・コンデル
- 撮影
- エリオット・デイヴィス
- 音楽
- ロフル・ケント
- 出演
- リース・ウィザースプーン
- サリー・フィールド
- ボブ・ニューハート
- ルーク・ウィルソン
- ジェニファー・クーリッジ
ハーバード・ロースクールを卒業し法律事務所に就職、さらに法学教授のエメットとの結婚も3ヵ月後に控え全てが順調なエルだったが、愛犬ブルーザーの母親が動物実験の実験台とされていることを知り、その研究所と戦おうとするが、その親会社が事務所のクライアントだったためにクビになってしまう…
ヒットした『キューティー・ブロンド』の続編。リース・ウィザースプーンが製作にもかかわり、さらにスケールを大きくしたが、やりすぎ感があり失敗か。
全てがとにかくやりすぎであり、そして同時に陳腐すぎる。愛犬の母親を救うためにワシントンに行って動物実験を禁止する法案を成立させようという発想がまずやりすぎだし、そしてその障害となる軋轢などもあまりに陳腐すぎる。5分に1回は「んなアホな」と思わせる展開はいくらこれが他愛もないコメディであってもちょっとつらい。
こういうコメディというのはやりすぎなところが驚きを生み、それが笑いにつながるわけだけれど、この作品くらい常にやりすぎだと、どんどん演出が過激になって行っても驚きは生まれなくなってしまうのではないか。それがこの映画が進むにつれてどんどんつまらなくなっていく最大の原因である。
そして、この映画がモチーフにしている政治もこの映画をつまらなくしている理由かもしれない。この物語でエルは懸命に努力をして入るが、結果的に必要な成果をエル決定的な要因となるのはあくまでも“偶然”である。彼女の努力が実り、それが相手に通じるというのではなく、偶然の一致が彼女が見方を増やして行く最大の要因となるのだ。
この物語は完全なるアメリカン・ドリームである。誰にも成功するチャンス、自分の考えが正しく人々の支持を得ることができればそれを実現するチャンスがあるというアメリカン・ドリームの物語である。しかし、その“ドリーム”が実現するのはその人の絶え間ぬ努力の結果、あるいはその人の正しさが通じた結果ではなく、偶然なのである。
これは以前は誰にでもチャンスがあったアメリカン・ドリームが“運”を持つ人だけのものになってしまったことを意味している。どんなに努力しても、最終的には“運”がなければ成功を手にすることはできない。もちろんその運を招くには努力も必要だが、決定的な役割を果たすのは“運”なのだ。それはどこか貧乏な人たちが天文学的なお金を宝くじで手にするのに似ている。みなに平等なチャンスがあるが、その確率はあまりに低く、運がなければそのチャンスを手にすることはできないのだ。
こんな他愛もないコメディを取り上げて、そのようにアメリカン・ドリームの変化を語ってしまうというのもなんだとは思うが、この映画に限らず、多くの作品でそのような変化が見られることも事実だ。昔からハリウッド映画の多くは「偶然」に物語の展開を頼ってきたが、その傾向は年々強まり、現実世界までもがその影響をこうむっているかのようだ。
独立宣言に署名したジョン・ウィザースプーンを祖先に持つリース・ウィザースプーンがこのような作品を製作総指揮し、出演する。そこになんだかアメリカの姿が見えてしまうような気がする。