ハリウッド的殺人事件
2006/4/16
Hollywood Homicide
2003年,アメリカ,115分
- 監督
- ロン・シェルトン
- 脚本
- ロバート・ソウザ
- ロン・シェルトン
- 撮影
- バリー・ピーターソン
- 音楽
- アレックス・ワーマン
- 出演
- ハリソン・フォード
- ジョシュ・ハートネット
- レナ・オリン
- ブルース・グリーンウッド
- マスターP
- ルー・ダイアモンド・フィリップス
- グラディス・ナイト
- スモーキー・ロビンソン
ロンドン市警の刑事ギャヴィランとコールデンは人気のラップグループの殺人現場に呼び出される。しかしベテランのキャヴィランは副業の不動産業に忙しかった。一方のコールデンもヨガのインストラクターをしながら俳優を目指していた…
ハリウッドを舞台にした一風変わった刑事ドラマ。いわゆるアクションものとは違うおもしろさがある。
この映画は非常にテンポが悪い。始まりからして、刑事のようなふたりのうち一人が不動産屋のようなことをしていて、もう一人がヨガの先生をしているのがなぜなのかわからないし、それが副業とわかっても、その副業に映画の多くの部分が割かれて、肝心の捜査のほうはちっとも進まない。犯人の手がかりをつかんだと思ったら家の売り手から電話がかかり、犯人がいるのかと思ったら女が裸でフロに入っている。このオフビートとも言いがたいギクシャクした感じはこの映画にまっとうなポリスアクションを求める観客にはひどい不満を抱かせるものだろう。オマケに肝心のアクションシーンでもハリソン・フォードは走ってぜいぜいと息を上げ、よろよろとよろけてが獣のように言葉にならないうなり声を発する。
しかし私はこのテンポの悪さ、ギクシャクした感じこそがこの映画のすごいところだと思う。ハリソン・フォードとジョシュ・ハートネットが当たり前に犯人を追い詰め、ドンパチ撃ちあってそれなりにやられながらも最後には犯人を逮捕する。そんなアクション映画ならわざわざ作ることはない。今までだってたくさんあったし、これからだって同じような映画がどんどんできるからだ。
この映画はそんな普通のアクション映画とはまったく違う。このロン・シェルトン監督の作品は以前に『ハード・プレイ』を見たときにも思ったのだが、妙にリアルだ。あるいは無駄にリアルというべきか。映画というのはあくまでエンターテインメントであり、ある意味では劇画であるべきだ。だから主人公には銃弾が当たらないし、犯人を果てしなく追いかけて追い詰めるし、カーチェイスをしても事故ったりはしない。
しかしもちろん現実はそうではない。警官だって銃で撃たれるし、それが怖い。犯人を追いかければ息が切れるし、それは犯人の側でも同じことだ。刑事だからといって警察の仕事に命をかけているわけではなく、それぞれに別のところに夢や希望を持って生きていたっていい。
それはつまり現実には映画に登場するヒーローなどいないということだ。そんなことはわかりきっている。人々はそんなヒーローにいない現実から逃げたくて映画館に行くのだから。だからそこでは現実にはいないはずのヒーローがいて、私たちを救ってくれるという夢を見させて欲しいのだ。こう考えるのもひとつの映画の見方であるし、それは映画のまっとうな楽しみ方だ。
しかし、その一方でたまにはこんな作品もあってもいいと思う。こういう作品を観ることで私たちはいわゆるハリウッド映画の現実との乖離の激しさに気づき、そのギャップを笑う。この作品とハリウッド映画とのギャップ、それは現実とハリウッド映画とのギャップである。そのギャップから笑いが生まれる。それはハリウッド映画から見た現実のおかしさであり、それを笑えるということはハリウッド映画という「夢」のおかしさを笑うということである。
スクリーンという幕を通して現実と夢を行き来する私たちは、そこに存在するギャップから言葉にならない何かを感じる。別にハリウッド映画が悪いわけではもちろんない。ただ、映画と現実の間にある何かを見失ってしまってはいけないのだと思う。