おわらない物語 アビバの場合
2006/5/12
Palindromes
2004年,アメリカ,100分
- 監督
- トッド・ソロンズ
- 脚本
- トッド・ソロンズ
- 撮影
- トム・リッチモンド
- 音楽
- ネイサン・ラーソン
- 出演
- エレン・バーキン
- スティーヴン・アドリー=ギアギス
- リチャード・メイサー
- ジェニファー・ジェイソン・リー
- デブラ・モンク
従姉妹のドーンが自殺したアビバは子供ながらに赤ちゃんをたくさん産んで幸せになると母親に宣言する。数年後、アビバは両親の友人の家でその息子ジュダと関係を持つ。それも赤ちゃんが欲しかったためだが、それを知った母親は子供を堕ろさせようとする…
トッド・ソロンズが主人公のアビバを8人の肌の色も年齢もバラバラな8人の役者に演じさせて撮った実験的ドラマ。
主人公を8人の違う役者に演じさせる。しかも、似ても似つかない8人に。その実験性が当たり前だが目に付く。いかにも子供という黒人の女の子から、太目の白人の少女、かなり大柄な黒人女性、一人は男の子であり、一人は40歳のジェニファー・ジェイソン・リーである。
これを見てまず思うのはやはり見た目は重要だということだ。見た目によってその人物に感情移入できるかどうかは変わってくる。この物語から浮かぶイメージはやはりぽっちゃりとした白人の少女である。それは両親が白人であることや、彼女の性格的な面から考えて必然的にそういうイメージが出来上がるからだ。
だから、そのイメージからずれた役者が登場すると少しぎょっとする。この映画の中で最も幸せで、最も長く、最もおもしろいといえる“ママ・サンシャイン”のエピソードに大柄な黒人女性が使われているのは、そのぎょっとする感じの意味を観客に考えて欲しいからだろうと思う。
“アビバ”という主人公のキャラクターはどの役者が演じても変わらない。周囲の対応の仕方も変わらない。変わるのは観客の受け入れ方だけなのだ。だから、役者が変わることで受ける印象の変化というのは観客の世界の見方の反映なのである。黒人をどう観るか、太った人をどう観るか、そのような価値観がスクリーンに反映されて明らかになるのだ。だからこの映画を観ることとは自分を見つめることになる。トッド・ソロンズは複数の役者が一人の主人公を演じるという仕組みを使うことによって観客にそのようなことを求めているのだと思う。
そして、同時にこの作品はそのひとつとして「人工妊娠中絶」についても問うものだろうと思う。アメリカで長く問題になっている中絶の問題、これに対して賛成をいうのでもなく、反対をいうのでもなく、しかし様々な立場からその問題を考えてみろと観客に投げかける。
自分がここで主人公を演じている役者たちが象徴している人々についてどう捉えているかを問うたあとは、そのそれぞれの人々の立場で妊娠中絶というモノを考えてみたら、どのように見えるのかということを問うているのである。
複数の役者が主人公を演じることによってどうしても物語りは分断され、散漫な印象を受ける。そのようなマイナスがあるにもかかわらず、このような手法を使ったのは、トッド・ソロンズがそのことをどうしても観客に問いたかったからなのだろう。この映画は多くの映画のように観客に対して語りかける映画ではなく問いかける映画なのだ。
あまりおもしろい映画ではないが、見て観る価値はあるし、このような厳しい問いかけに身をさらすことも時には必要だと思う。