宇宙大征服
2006/5/14
Countdown
1967年,アメリカ,102分
- 監督
- ロバート・アルトマン
- 原作
- ハンク・サールズ
- 脚本
- ロリング・マンデル
- 撮影
- ウィリアム・W・スペンサー
- 音楽
- レナード・ローゼンマン
- 出演
- ジェームズ・カーン
- ジョアンナ・ムーア
- ロバート・デュヴァル
- バーバラ・バクスレー
- チャールズ・エイドマン
日々訓練に明け暮れる宇宙飛行士のリーとチズたち、ソ連の宇宙船が月の周回軌道を回ったというニュースが流れた日、チズはつきへの有人飛行の極秘計画があることをリーたちに告げる。リーたちは祝福するが、ワシントンのお偉方は軍人であるリーを飛行士にすることに反対する…
ロバート・アルトマンが『M★A★S★H』以前に撮った実質的なハリウッドデビュー作。SFとしては稚拙な感があるが、心理劇の組み立て方はさすが。
この映画が作られたのは1967年、ガガーリンがはじめて有人宇宙飛行に成功したのは1961年、66年にはソ連の無人探査機が月面着陸に成功し、同年、月周回軌道にも到達している。ソ連に先んじられた形のアメリカは月面の有人探査だけはソ連に先んじることを目指し、1969年にアポロが月面に人類を送り込んだ。つまり、この映画が作られた頃、米ソはまさに宇宙開発競争の真っ只中であり、ソ連人が先に月面に立つということはアメリカ人が最も危惧することのひとつであったというわけだ。
そんな時代背景に支えられるようにしてこの映画は作られたわけであり、それが非常に色濃く出ている。しかし、そんな宇宙開発競争時代であるにもかかわらず、その科学的な部分は緻密さに描ける。宇宙服にはどう見ても機密性がないし、基地とロケットの間の通信のタイムラグもない。小説などの世界ではSFはかなり緻密なものになり、細部にわたるまで科学的な検証がなされるようになっていたはずだが、映画の世界ではSFはまだまだB級のジャンルであった。だから、ジョン・カーペンターならまだしも、駆け出しの映画監督の一人に過ぎず、SFのスペシャリストでもなかったロバート・アルトマンにそのあたりの緻密さを求めるほうが酷というモノではあるが、今の視点で見てしまうとやはりどうしても失笑を招いてしまう。
しかし、心理劇としては非常に巧みな作品である。米ソの競争というのが大きな背景とあって、その中でさらに宇宙飛行士同士の競争がある。その国同士の争いと個人の争いが絡み合い、友情と愛情もそこに混ざり合って、登場人物たちはどうしても複雑な心理状態に置かれるのだ。アルトマンはそれを見事に切り取り描ききる。名誉欲、妬み、嘘、虚勢、それらによって友情が揺らぎ、愛情が曇り、しかしそれは揺り戻ることもあり、誠実さと思いやりを取り戻し、しかしやはり心は揺れる。
この映画は宇宙という壮大な夢をめぐって展開される人々の物語である。SFのような外見をして入るが、重要なのはSFの部分ではなく人間ドラマなのである。大きな夢、大きな名誉、大きな力を前にして人間は周囲とどのような関係を築くのか、そのあたりが非常に巧みに描かれているのだ。このあたりは、さすがはのちに群像劇の名作をいくつも撮るロバート・アルトマンだといえるだろう。
そして、劇化する宇宙開発競争に対する警句の役割も果たしている。宇宙開発競争とはいわば冷戦のひとつの局面である。宇宙を制すればその軍事開発は容易であり、それが冷戦を有利に進める上で重要な戦略でもある。だからこそ米ソは必死に宇宙開発に勢力を注いだのである。ただ相手に負けたくないという敵愾心からでは決してない。そして、それはワシントンが軍人を飛行士にしたくないというこの映画の物語の発端になる考え方とも密接に関係してくる。彼らは宇宙を軍事目的に利用しようとしているからこそ、それを知られたくないのだ。実際、今となっては宇宙の軍事利用は当然のこと、条約が結ばれ平等な利用が保障されて入るが、軍事的に重要なひとつのフェーズであることは間違いがない。
その点でアルトマンは非常にリベラルな面を見せたと思う。これもまたひとつの時代性ではあるが、現在の極端に保守化するハリウッドの状況と比べると、やはり隔世の感がある。アルトマンにかぎって言えば、別に保守派に迎合するような姿勢を見せているわけではないが、ハリウッドの趨勢は明らかにネオコンの方向に動いている。アルトマンがこの作品や『M★A★S★H』を撮っていたということを考えると、今こそ、そのようなリベラルな作品をもう一度作って欲しいと思う。