ウィンタースリーパー
2006/5/18
Winterschlater
1997年,ドイツ,122分
- 監督
- トム・ティクヴァ
- 脚本
- トム・ティクヴァ
- 撮影
- フランク・グリエベ
- 音楽
- ジョニー・クメリック
- ラインホルト・ハイル
- 出演
- ウルリッヒ・マティス
- マリー・ルー・セレン
- フロリアン・ダニエル
- ハイノ・フェルヒ
雪山の家に住むレベッカとローラ、ある朝ローラの恋人マルコが新車でやってくるが、マルコは車にキーもせず家に入って行く。そこに朝まで飲んだ帰りのレネが通りかかり、車を盗んで行く。一方、農場主のテオは病気の馬を連れて獣医に向かうが、馬を心配する娘がこっそり馬の乗る荷車に乗り込む。そして2台の車が雪道で出会う…
『ラン・ローラ・ラン』のトム・ティヴァクがその前年に撮ったサスペンス。寒々しい映像にはセンスを感じるが、サスペンスとしては少し退屈か。
いきなり多くの登場人物が現れ、複雑なドラマを予想させる。しかし、それぞれの関係性はまもなくわかり、問題の事故がおきる。車を盗んだレネがトランシーバーに気を取られて前方不注意となったテオの車とニアミスをする。レネはその事故現場を茫然自失という態で立ち去り、テオも事故の細部を思い出すことができない。
テオはその男が立ち去る姿をかすかに覚えており、対向車がいたことを主張するのだが、警察は取り合ってくれない。テオは相手を犯人と考えて執念深く突き止めようとするわけだが、よく考えてみれば、事故の最大の原因はテオの前方不注意なのである。仮にレネがその現場から立ち去らなかったとしても、レネに一方的な非があるわけではなく、むしろテオのほうに大きな過失があるのではないか。
そのあたりでこの物語にはすでにボタンの掛け違いが見える。それが狙いなのかもしれないが、そのような展開の仕方によってこの物語はサスペンスとしての面白みは減じてしまっている。テオは周囲から誤解されながらも真実を追究するヒーローではなく、自分の思い込みから逆恨みをし、復讐を企てる狂人への道を歩いて行ってしまうのだ。
そしてまた、もうひとつの主プロットといえるローラとマルコの関係についてもよくわからない。喧嘩ばかりしているけれど離れることができない腐れ縁というのならわかるし、それは物語になりうるのだが、マルコの考えていることはまったくわからない。単なるプレイボーイのように見える彼がどうしてローラに執着するのか、ローラもレベッカもわからないと言っているように、彼の目的が本当によくわからないのだ。ローラを愛しているわけではもちろんない。このわかりにくさが観客をますます混乱させる。
それらの答えが明らかになるだろうという予想がかろうじて映画の展開に観客をついて行かせ、そこにはそれなりに緊迫感がある。そして、寒々しい映像もその緊迫感を助け、じりじりした時間を観客に体験させる。そのあたりのつくりはなかなかいい。
しかし、それだけで2時間を持たせるのは難しい。プロットが観客をひきつけられないために、肝心の映像面でも細かい粗が観客の目に付いてしまう。ピントを送る際の微妙なズームの変更、広角で撮ったシーンのわずかな映りこみ、物語の勢いに観客が飲み込まれていれば目立たないはずの粗がそこに見えてきてしまうのだ。
それによって、この映画の一番の魅力といえる映像の面でも完成度に疑問符がついてしまうのは非常に残念だ。やはり映画というのは映像とプロットの両方に及第点がついて初めておもしろい映画になるということだ。このトム・ティヴァクは次作の『ラン・ローラ・ラン』でようやくそのレベルに到達したのだろう。