飛ぶ教室
2006/5/24
Das Fliegende Klassenzimmer
2003年,ドイツ,114分
- 監督
- トミー・ヴィガント
- 原作
- エーリッヒ・ケストナー
- 脚本
- ヘンリエッテ・ピーパー
- フランツィスカ・ブッフ
- 撮影
- ペーター・フォン・ハラー
- 音楽
- ニキ・ライザー
- 出演
- ウルリッヒ・ノエテン
- ハウケ・ディーカンフ
- テレザ・ウィルスマイヤー
- セバスチャン・コッホ
- アーニャ・クリング
- ピート・クロッケ
これまで7回も学校を辞めさせられてきたヨナタンは今度は合唱で有名な寄宿学校にやってくる。その学校の寄宿生はベグ“正義”先生の下、合唱にいそしんでいた。ヨナタンは途中で拾った犬を寮に持ち込んだことを見咎められ、ルームメイトたちと捨て場所を探しに行く…
ドイツの児童文学作家ユーリッヒ・ケストナーのベストセラーの映画化。ラップなどを織り交ぜた現代的なアレンジもなかなかいい。
この映画はエピグラムに原作者であるケストナーの言葉を使い、「なぜ大人になると子供のころの心を忘れてしまうのか」と問う。ケストナーの児童文学には常にこの考え方が根底に存在し、子供をわくわくさせると同時に大人に子供のころの気持ちを思い出させる。そしてこの映画はその精神を忠実に守りながら「飛ぶ教室」を現代風にアレンジする。子供たちの世界を描き、そこにかかわってくる元子どもたちを描く。「飛ぶ教室」という1本のシナリオが大人を子供時代に引き戻し、そこから大人の身勝手さを浮き彫りにするのだ。
この物語の主人公は捨てられた子供であるヨナタンである。養父である“船長”に育てられ、その“船長”を本当の父親のように敬愛するヨナタンだが、彼は常に孤独に包まれている。孤独な子供は常に大人の世界の風にさらされ子供らしさを失っていってしまう。ヨナタンはまさにそんな子供であり、“船長”の存在だけがかろうじて彼を子供のままにとどめているのだ。そんな彼が聖トーマス校にやってきて友達に出会い、友達になれるかもしれない大人に出会ったことで子供らしさを取り戻していく。
大人になろうとしている子供と、子供に戻ろうとしている大人びた子供、その出会いから生まれる物語は感動的だ。大人びてやさしさと勇気を持ち合わせているヨナタンは周りの子どもたちにはない強さがあり、それが友人たちを勇気付ける。そしてヨナタンは逆に友人たちの無邪気さに救われ、自分の無邪気さを解放していく。
そのような過程をこの映画はじっくりと描いて、大人である観客をヨナタンの立場に引き込んで、観客に子供時代の記憶をよみがえらせる。理不尽な大人たちに対する不満や怒り、それとは裏腹に大人の愛情に包まれたいという渇望、子供のそのような感情を思い出させるのだ。そしてそれはもちろん自分がどのような大人になったのかということに対する反省も促す。自分が子供として悲しい思いをしたそれと同じことを子供に対してやってはいないだろうか、そんな思いが頭をかすめる。もちろん、大人になってみれば大人の事情があることは否めないのだけれど、その大人の事情というものが子供のころにはわからなかったということを思い出さなければならないのだ。
この映画はそのようにして大人と子供をつなごうとする。以前は子供であった大人たちがなぜ子供の心を理解できないのか、そのことをこの映画は語るのだ。
そして、この映画はそれを説教くさく語るのではなく、大人を子供の視線に引き込んで、子供時代の自分自身の感情の再体験という形で経験させるのだ。そのためにこの映画の視線は常に子供の視線の高さに保たれている。大人を見るときには常に仰ぎ見るような視線であり、子供を見るときは平行な視線を保つのだ。その視線からは犬が身近に感じられ、大人は恐ろしいものに見える。その感覚をよみがえらせれば、子供時代へとタイムスリップするのはもう簡単だ。