スカイ・キャプテン ワールド・オブ・トゥモロー
2006/5/30
Sky Captain and the World of Tomorrow
2004年,アメリカ=イギリス,107分
- 監督
- ケリー・コンラン
- 脚本
- ケリー・コンラン
- 撮影
- エリック・アドキンス
- 音楽
- エドワード・シェアマー
- 出演
- ジュード・ロウ
- グウィネス・パルトロー
- アンジェリーナ・ジョリー
- ジョヴァンニ・リビシ
- マイケル・ガンボン
- バイ・リン
戦間期のニューヨーク、新聞記者のポリーは科学者が次々と行方不明担っている事件に注目する。そして新たな情報源と会うために出かけたところで空から襲撃してくるロボットの大群を目撃する。そのロボットはスカイ・キャプテンが撃退するが、ロボットは世界中の都市を襲っていた…
豪華なキャストで新人監督が撮ったレトロSFアドベンチャー。人以外はほぼ全てがCGという野心的な映像だが、それがあだに。
確かにCGの技術には目を見張るものがある。このほとんど全てがCGと聞くとびっくりするし、感心もするが、それが映画のおもしろさに寄与しているかどうかはまた別の問題だ。
この作品は舞台を戦間期に設定し、その頃の時代から見た近未来像をある種の“失われた未来”として映像化した。だから、映像の全体をその時代のものっぽくし、白黒とカラーを織り交ぜ、全体にぼかしを利かせた映像に仕上げているわけである。その狙いは確かによくわかる。しかし、その凝った映像は効果的であるよりむしろ目障りであり、制作者の自慰行為にしか見えない。わざわざ巨額の予算を使って醜い映像を作り上げているだけとしか思えないのだ。
この作品は結局アニメなのである。生身の人間を使ってはいるが、基本的にほとんどはCGアニメであり、そう考えると声優の顔をキャプチャーしてアニメーションに取り入れた『シャーク・テイル』と紙一重の差しかないということができるだろう。だとするならば、潔くアニメにしてしまえばよかった。そもそもこれがアニメであるならば、アニメとしてより洗練された映像を作り上げることができたはずだ。それをアニメと実写の鬼子としてしまったがためにこのような見苦しい映像になってしまったのだ。
ストーリーテリングのほうはまあまあということろ。アニメだけあって展開には子供だましという感じの部分も多いが、主役のふたりのキャラクターのおもしろさとふたりが交わす会話の軽妙さのおかげで映画は救われている。結局ミエミエの結末にたどり着くにしても、そこに至るまでの冒険にはスリルがあり、少々冗長ではあるがつまらないというほどではないだろう。
アニメと実写の融合という試みは古くからなされてきた、マドンナが出演した『ディック・トレイシー』やマイケル・ジョーダンが出演した『スペース・ジャム』はいうに及ばず、『マトリックス』も『レボルーションズ』あたりになると半分くらいはCGアニメという風情になっていたし、日本では『オペレッタ狸御殿』にCG技術で蘇った美空ひばりが出演した。
この作品もそんなアニメと実写の融合の試みの礎のひとつだと考えれば、そんなに悪い作品でもない。この作品から分かったことといえば、実写の人間とCGの情景との組み合わせは「気持ちが悪い」ということだ。実写の人間を使うならCGの情景はなるべく現実的な印象を与えるものにしなければならず、逆にCGを中心にするなら人物をディフォルメしてアニメ向きのものにしなければならない。
そんなことを思いながら退屈な時間をつぶした。