そして、ひと粒のひかり
2006/6/14
Maria, Full of Grace
2004年,アメリカ=コロンビア,101分
- 監督
- ジョシュア・マーストン
- 脚本
- ジョシュア・マーストン
- 撮影
- ジム・デノールト
- 音楽
- ジェイコブ・リーバーマン
- レオナルド・ヘイブルム
- 出演
- カタリーナ・サンディノ・モレノ
- イェニー・パオラ・ベガ
- ギリエド・ロペス
- ホン・アレックス・トロ
- パトリシア・ラエ
コロンビアの田舎町にある生花工場で働く17歳のマリア、単調な仕事と退屈なボーイフレンドと口うるさいシングルマザーの姉に辟易していたが、実はボーイフレンドの子を妊娠していた。仕事をやめ、憂さ晴らしにボゴタへ向う途中、知り合いの男に麻薬の運び屋の仕事を持ちかけられる。
コロンビアの現実をスリリングなドラマで描いた秀作。これがデビュー作となるジョシュア・マーストンと主演のカタリーナ・サンディノ・モレノは国際的な評価を得た。
この映画はまずドラマとして面白い。ボーイフレンドの子を妊娠してしまった少女が失業、しかしぶらぶら遊んでもいられないというプレッシャー、やたらと威張って口うるさい姉との対立。それらが慎重なはずの少女を麻薬の運び屋という仕事に駆り立てる。あまりにも厳しいコロンビアの現実、それが明らかにされるのだ。
そして、コロンビアに住むマリアような少女たちはその現実の厳しさを知らない。自分たちの生活の苦しさは知っているが、コロンビアという国が世界でどのように位置づけられているのか、自分がやることになった運び屋の仕事というのがどれくらい認知されているのか、彼女は知らない。彼女たちに運び屋をさせる組織にとって見れば、リスクは入国管理で捕まった場合に麻薬を失うというリスクだけだ。彼女たちに与える報酬も、彼女たちにとって見れば大金(一袋あたり100ドル、つまり5000~6000ドル程度の報酬しかもらえない。しかもコロンビアではそれで家が買えるという…)だが、麻薬の売買による利益と比べればはした金でしかない。
そのような、経済、情報など様々な格差が彼女たちの悲劇につながる。彼女たちはあまりに貧しく、そしてあまりに何も知らない。それは、アメリカとコロンビアという関係だけではなく、世界中のいわゆる全ての“南北”の間に存在している関係ではないか。ヨーロッパと中東やアフリカ、そして日本や韓国と東南アジア、それらの“南北”の間には経済と情報の格差が存在し、そこから南の人々の悲劇が生まれる。この映画では冒頭に"1000 true stories"といった感じのサブタイトルが出たのだが、これはまさにあらゆるところに存在するしんじつの物語のひとつの例に過ぎないのである。
確かに、アメリカに言ってからの展開には生ぬるさを感じはしたが、それくらいの生ぬるさがなければ、まったく希望は持てない。神のご加護(Grace)に満たされたマリアは、幸運にも情報を手にし、最低限のお金を手にして、“北”で再出発する可能性をつかんだ。
この物語が生ぬるいのは、それが奇跡であるからだ。そして、その奇跡がマリアという個人だけに降りかかるものであるからだ。しかし、このような小さな奇跡を積み重ねることによってしか“南北”の格差は縮まりえないのではないかと私は思う。それは非常に哀しいことではあるけれど、真実だろう。
非常に厳しい現実の中から生まれる奇跡、それはまた別の厳しい現実を示して入るけれど、私たちにかすかな希望を与えてくれる。