歌え! ジャニス★ジョプリンのように
2006/6/23
Janis et John
2003年,フランス=スペイン,104分
- 監督
- サミュエル・ベンシェトリ
- 脚本
- サミュエル・ベンシェトリ
- ガボール・ラッソヴ
- 撮影
- ピエール・エイム
- 出演
- セルジ・ロペス
- マリー・トランティニャン
- フランソワ・クリュゼ
- クリストファー・ランバート
- ジャン=ルイ・トランティニャン
保険会社に勤めるパブロは乗らない車に保険をかける顧客の掛け金を着服していたが、その車が事故を起こし、50万フランの保険金を穴埋めしなくてはならない羽目に。そんな時、従兄弟のレオンが100万フランの遺産を相続したと聞き、彼から何とか金を引き出せないかとジャニス・ジョプリンとジョン・レノンの熱狂的なファンであるレオンの元を訪ねる。
マリー・トランティニャンの元夫サミュエル・ベンシェトリの監督デビュー作。マリーは父のジャン=ルイ・トランティニャンとの共演も果たしたが、この作品の後、不慮の事故でなくなり、これが遺作となってしまった。
これは不思議な魅力を持つ作品だと思う。最初はうだつの上がらない保険会社の社員であるパブロが自分の父性の穴埋めのために金を工面しなければならず、ジャニス・ジョプリンとジョン・レノンに熱中し、麻薬漬けでどこかおかしい従兄弟のレオンをだまそうというコメディとしてはじまる。
しかし、それがこの映画の中心的な物語とはならない。パブロにしてみれば、そのことばかりが頭にあり、はやく金を工面しないとと頭を悩ませているのだけれど、ジャニス・ジョプリンに扮することになった妻のブリジットはお金を巻き上げることよりもジャニス・ジョプリンでいることのほうに何かを見出し、ジョン役の三流役者はプライドの問題か何かわからないが、いなくなってしまう。
つまりプロットはパブロの物語とブリジットの物語に完全に分離し、ひとつの物語とはならなくなるのだ。そこに不思議なおもしろさがある。観ているほうとしてはパブロのあせりもよくわかるし、ブリジットの陶酔もよくわかる。そしてブリジットは平凡な主婦として自分の人生を棒に振ってきたその虚しさがジャニス・ジョプリンになることによって解放されるという悦びを感じているのだ。
この分離したプロットの間に見えてくるのは、ジャニス・ジョプリンとジョン・レノンの魔力である。レオンもはまったその魔力がこの映画からじわじわと伝わってくる。全編に使われるジャニスとジョンの音楽もその要因となるが、やはりブリジットとワルテルのはまり方が彼らの魔力を十全に表現している。彼らを演じることは彼らの精神に触れることであり、彼らの精神に触れてしまえば、彼らの魔力に捉えられてしまう。それがよく伝わってくるのだ。
レオンも麻薬でおかしくなっていると(パブロの母親に)言われているが、果たして本当にそうなのか。彼は確かに麻薬に溺れてはいるが、麻薬よりむしろジャニスとジョンによっておかしくなっているのではないか。彼は麻薬にトリップした常態でジャニスとジョンの精神に触れ、その魔力に完全に捉えられてしまった。だから、彼らのことしか考えられない。だからブリジットをジャニスだと信じる。彼はそう信じたいのだ。ジャニスは彼と一緒にいなければならないのだ。
そんなジャニスとジョンの魔力によって観客も現実の世界から、魔法の世界へと誘われる。現実にとどまるパブロとその魔法の世界を行き来しながら、そのおかしさと魅力にひきつけられるのだ。 最後にはこの二つの世界と二つのプロットは絡み合いながら落ち着くところに落ち着き、なんとなくハッピーエンドのように終わる。現実の世界に戻るけれど、魔力は影響を留め続け、その魔法が現実の生活をより豊かなものとするのだ。
映画を見ていた観客もなんだか不思議なだまされたような気分になりながら、その魔力にすっと吸い寄せられたまま終わる。とくにジャニス・ジョプリンの歌声は頭に残り、彼女の放つメッセージがグッと心に迫るようだ。