駅前旅館
2006/6/26
1958年,日本,109分
- 監督
- 豊田四郎
- 原作
- 井伏鱒二
- 脚本
- 八住利雄
- 撮影
- 安本淳
- 音楽
- 団伊玖磨
- 出演
- 森繁久彌
- フランキー堺
- 伴淳三郎
- 淡島千景
- 淡路恵子
- 森川信
- 草笛光子
上野駅前に門を構える柊元旅館、その番頭の生野次平は先代の頃から勤めるベテランだが、最近は学生の団体ばかり。次平は、そんな団体客を世話する旅行社の“万年さん”こと小山欣一や近くの旅館の番頭仲間高沢、近くで小料理屋を構えるお辰らと懇意にし、暮らしていた…
井伏鱒二の原作を豊田四郎が映画化。この作品が高評を博し、森繁久彌・伴淳三郎・フランキー堺・淡島千景という顔ぶれで「駅前」シリーズとしてシリーズ化され、全24作品が作られた。。
豊田四郎といえば、文芸映画の映画監督、この作品が文芸映画であるとはなかなかいいがたいが、原作者は文豪井伏鱒二であり、現在でも読み継がれる名著であることは確かである。この映画は「駅前」シリーズとしてシリーズ化されることになるのだが、もちろん2作目以降は原作とはまったく関係なく、この作品の主要な出演者が「駅前」で同じようなコメディを繰り広げるという点が共通しているだけということになる。もちろん監督も豊田四郎ではない(シリーズ21作目の『駅前百年』と22作目の『駅前開運』では再びメガホンを取っているが)し、脚本も八住利雄ではない。
したがって、この作品は「駅前」シリーズの第一作と考えるよりは、豊田四郎が監督したコメディの一作と考えたほうがいい。豊田四郎は文芸映画の監督という印象が強いわけだが、ジャンルとしてはコメディを意外に数多く撮っている。そして、その代表作といえるのがこの『駅前旅館』なのである。なのでこの作品を観ると、どうしても豊田四郎のコメディというものを考えることになる。そして、豊田四郎のコメディに欠かせない役者といえば森繁久彌と淡島千景である。この2人は豊田四郎の代表作のひとつであり、正統な文芸映画である『夫婦善哉』で初共演し、「駅前」シリーズはもちろんのこと、豊田四郎の監督したコメディの多くで共演している。
多くの場合主人公を演じるは森繁久彌だ。森繁久彌という喜劇役者の面白さはその飄々とした振る舞いと、かすかないやらしさにあるのだと思う。喜劇役者というとコミカルで、親しみやすい人物というイメージが強く、フランキー堺などその典型だが、森繁は少し違う。だからこそフランキー堺とコンビを組むことが多いのだともいえるが、森繁はそのキャラクターでコメディをシリアスなドラマへとつなげる役割を果たす。そして、その森繁が主人公となることで、その作品自体がコメディであると同時にシリアスなドラマにもなりうるのだ。そして、それは多くの場合いわゆる人情ものになるのではないか。森繁が演じるキャラクターは世の中をどこか斜めに見ているようで、しかし古きよき人情の世界を懐かしんでもいるのである。
この作品はそのような豊田四郎と森繁久彌のコメディの典型である。ここで森繁が演じるのは上野駅前の旅館の番頭、先代の頃から30年以上を勤め上げ、帳場を預かるベテラン中のベテランである。原作が57年、この映画が58年だから、時代設定はその頃の現在ということになり、となると森繁久彌演じる次平は昭和の始め頃からこの旅館で働いているということになる。おそらくその頃の旅館というのは客と番頭や丁稚とのつながりが強く、二三日滞在するだけの客でも働く人たちと懇意になり、宿が気に入れば何度も繰り返しやってく来るそのような場であったのだろうと想像できるし、実際にそのようなお客がこの映画の最後に登場する。
それが、現在(50年代後半)になると、駅前旅館は修学旅行だの社員旅行だのの団体専門の旅館みたいになってしまい、お客は一度限りの客となり、客と宿の人々のつながりなどというものは皆無になってしまう。そのような人と人とのつながりがなくなると、残るのはお金のつながりだけ。割り切った商売関係だけがそこにある。昔を知っている人たちはそんな現在を人情味のないつまらない時代と考えて、くさくさとするというわけだ。そしてヤクザじみた客引きのようなやからも出てくる。彼らも以前はまっとうな客引きで旅館からマージンをもらって暮らしていたのだろうが、人と人とのつながりがない時代になると彼らは仕事がなくなる。
日本が高度経済成長期に入った50年代半ば以降の時代は、日本映画の黄金時代とも重なるが、その黄金時代の映画にはそのような時代の変化を憂う作品が数え切れないほどにある。この作品もそのひとついうわけだが、それらの作品を大雑把にまとめると、そこで失われることを惜しまれているのは人間の温かみ、人と人とのつながり、というものである。高度経済成長がまずもたらしたのは生活の高速化、交通手段や通信手段の発達、ラジオやテレビの普及が人々の生活のスピードをアップさせる。スピードアップした生活に人々は追われ、人と人との付き合い方も時間に支配されるようになってしまう。以前のように隣人とのんびり将棋を打ったり、縁側でボーっと座っていると近所の人が通りかかってついつい話しこむなんてことはあまりなくなってしまうのだ。
この作品で描かれている旅館についてもそれが当てはまる。この作品の始まりは修学旅行生がバスに詰め込まれて旅館を出るところから始まる。そして、それに付き添って行く万年さんがあわててバスに飛び乗るのだ。この最初のシーンが端的にあらわしているのは、この時代の旅行と時間との関係だ。団体客は旅行社が設定したスケジュールに追われ、時間に追われて行動する。宿でのんびりして、旅館の人と話しこむなんて時間はなく、旅館の人たちも客のスケジュールが遅れないように必死に働く。それでは宿で働く人々と客とが知り合う機会などは存在しえず、人情も生まれない。
ヒューマニストたる豊田四郎が描き続けるヒューマニズムとはつまりは人情のようなものだ。人と人とのつながり、人にやさしく接するということ。人はそれぞれもちろんエゴを持っているわけだが、そのエゴと折り合いながら人にやさしさを持ち続ける。たとえば『女の四季』の主人公マキはそんなキャラクターだったが、そのような人と人とのつながりを豊田四郎は描き続けるのだ。彼が文芸映画にこだわるのも実はそのようなものに関係があるのかもしれない。
コメディ作品では、現代を舞台にして次代の変化、世代のギャップを笑いにつなげながら、古い時代へのノスタルジーを描くことが多いわけだが、シリアスな作品では、時代が下るに連れていわゆる文豪の作品を数多く取り上げるようになって行った。これらの作品というのは基本的に古い価値観をもった人物が主人公となる。舞台自体が昔のこともあれば、現代に生きる年寄りが主人公のこともあるが、ともかくその主人公は多くの場合、その映画を見る緩急苦が生きている現代という時代とのあいだにギャップが存在するような人物なのだ。そのような人物を描くことによって豊田四郎は現代にヒューマニティというものを問う。時代の変化によって得たものと失ったもの、それを考え直してみろと観客に突きつけるのだ。
もちろんそれはノスタルジーでしかない。失われてしまったものは美化され、存在しないことによって価値を増す。しかし、ノスタルジーと言うことで過去の価値観を距離を置いてみてもいいものなのだろうか。この物語の主人公は最後にノスタルジーの対象たる古きよき時代が残る“田舎”へと旅をする。しかし、現代にはもはやそのような逃げ場としての“田舎”すら存在しなくなってしまった。田舎に存在しているのはノスタルジーのはけ口とするべく人工的に作られた人口的な昔の風景なのである。そのような人工的なものを作ってまでノスタルジーを味わおうとするということは、その失われた昔に本当に大事なものがあったのかもしれないということなのではないか。
温故知新という言葉を持ち出すまでもなく、昔を知ることで現代に失われたもの、今の時代にない新しいものを得ることが出来るかもしれない。失われたものをそのまま懐かしむよりも、それを現代的なものとして蘇らせること、この作品の沿って言えば、現代なりのやり方で人と人とのつながりのなかからやさしさや思いやりというものを生み出して行くこと、この温かみのある物語から現代の観客が感じるべきなのはそのようなことなのではないだろうか。生きていれば100歳になるはずの映画作家豊田四郎からわれわれが学ぶべきことはまだまだたくさんある。