怒りの葡萄
2006/6/28
The Grapes of Wrath
1940年,アメリカ,129分
- 監督
- ジョン・フォード
- 原作
- ジョン・スタインベック
- 脚本
- ナナリー・ジョンソン
- 撮影
- グレッグ・トーランド
- 音楽
- アルフレッド・ニューマン
- 出演
- ヘンリー・フォンダ
- ジェーン・ダーウェル
- ジョン・キャラダイン
- チャーリー・グレープウィン
- ドリス・ボードン
オクラホマの荒地、刑務所での4年の刑期を終えて故郷に帰ってきたトム・ジョードだったが、家には家族の姿はなかった。そこにいたかつての友人の話によると、このいったいの家族は地主から追い出され、トムの家族も叔父の家に身を寄せ、みなでカリフォルニアへ向かうという。そこでトムもカリフォルニアに向かうことにするが、そこには苦難の旅が待っていた…
世界恐慌と凶作の影響で飢饉に見舞われた1930年代半ばのアメリカ中西部を舞台にしたスタインベックの同名小説をジョン・フォードが映画化した社会派ドラマ。
まさに骨太のドラマというのはこのような物語のことをいうのだろう。飢饉におそわれ、何十年も暮らしてきた土地を追われた人々が生きるために新天地を求める。しかし、アメリカ中が同じように飢えた人々で溢れ、そこを生き抜くのは容易ではない。そのような苦難の時代の中にもはびこる不正とエゴ、それを正義感に溢れる主人公が打ち破ってゆく。
自分の欲望のために貧しい人々を搾取することにまったく良心の呵責を覚えない輩と主人公との対決は手に汗握る迫力があり、見ごたえがある。限りなく単純化することによってスリリングな展開を生む30年代のハリウッド映画のドラマツルギーは単純であるだけに時代を経ても色あせることはない。
ただ、昔の映画だけにスピード感には劣る。このスピード感の違いというのは、見る側の映画に対する慣れの問題だろう。この作品が作られてから60年以上の間に観客は数多くの映画を見、映画を見ることになれていった。今の観客は子供の頃から映画やテレビを見て映像によるドラマに慣れきっている、だから映画にスピードを求めるのだ。めまぐるしい展開でドラマに巻き込まれることを求めるのだ。しかし当時の観客はまだまだ映像にそれほど慣れ親しんでいたわけではなかった。だから、映像によってドラマを理解させるためにはゆっくりとそれを説明する必要があったのだ。特にこの作品は単純化されているとはいえ、恋愛映画と比べれば理解が難しいから、よりいっそうの丁寧さが求められたというわけだ。
どちらにしても、昔の観客も今の観客もヘンリー・フォンダ演じる主人公の正義感に夢中になり、彼を応援し、不正を働く者たちを憎む。そこにドラマが生まれ、観客は引き込まれるのだ。
さて、そのようにおもしろく見ることが出来る映画ではあるが、今見ると、その背景になる思想がどうしても気になる。時代は1930年代半ば、世界恐慌から第二次世界大戦に向かう時代、この時代、アメリカは恐慌から脱却するためにニューディール政策と呼ばれる政策を採っていた。これは、不況から脱却するために古典的な自由主義経済政策に統制的な要素を加えるものであった。具体的に言えば、公共事業で雇用を増やし、労働者の権利を認め、農産物の生産を調整するといった政策である。
この作品はそのニューディール政策を支持する側からの視点で作られていると考えることが出来る。この映画が描いているのはニューディール政策という政府の政策が取られながらも、それはちっとも浸透しておらず、労働者の団結を訴えるようなものは依然として“アカ”のレッテルを貼られてしまうような社会である。その中でニューディール政策が希望として描かれている。
その政策や思想の是非はともかくとして、重要なのは当時のハリウッドにはそのようにして自由に思想を表面できる自由があったことだ。この作品はそんな思想ゆえにアカデミー作品賞は逃したといわれるけれど、とりあえずノミネートされるくらいには自由だったということだ。