リトル・ランナー
2006/7/2
Saint Ralph
2004年,カナダ,98分
- 監督
- マイケル・マッゴーワン
- 脚本
- マイケル・マッゴーワン
- 撮影
- ルネ・オオハシ
- 音楽
- アンドリュー・ロッキングトン
- 出演
- アダム・ブッチャー
- キャンベル・スコット
- ゴードン・ビンセント
- ジェニファー・ティリー
- タマラ・ホープ
1953年、カナダのハミルトンでカトリックの私立学校に通うラルフはタバコを吸ったりして校則を破る一方で上級生からはいじめられていた。その彼には重い病気で入院中の母親がおり、実はひとりで暮らしていた。その母親が突如昏睡状態に陥り、看護婦のアリスに「奇跡でも起きない限り目覚めない」といわれる…
それほどヒネリがあるわけでもないが、いわゆるハンカチものでついつい感動して涙してしまう。泣きたい映画を探しているという人にはいい作品。
誰にでもある思春期の思い出、性の目覚め、自立心、大人への反抗、そしてその反面で持ち続ける肉親(特に母親)への愛情。それらをこの作品は見事にひとつの物語に織り込んで、大人たちを間違いない感動へと導いて行く。
そのための舞台装置の用意には余念がない。ラルフの無謀な試みを大人の理性で押さえ込もうとする校長と、それに反抗するようにラルフに理解を示すヒバート神父。そしてラルフとは対照的だが、互いを理解しあっている親友のチェスター、少年らしい淡い恋の相手となるクレア。
そこに描かれているのは子供の世界と大人の世界、そしてそれが交錯する空間である。無垢な少年がその純真さゆえに大人の世界に驚きを与え、そこに亀裂を生む。少年は大人になり、大人は子供であったときのことを思い出す。
少年の立場になって物語に魅入っていた観客が、そのふたつの世界が混交し、そこに境目がなくなる瞬間に間違いなく涙するように物語は緻密に組み立てられている。そのためには脇役の役割も実は重要だ。主人公たちよりも年長ですでに大人の分別を多少見につけてしまっている巨漢の上級生、彼はラルフと言葉を交わすことはほとんどないが、この上級生が真っ先にラルフに理解を示す。そして、校長の秘書の初老の女性、彼女はラルフの中に少年の純真さと大人の聡明さの両方を見出し、真っ先に彼のファンになる。そのような様々な視線が彼に集約することで、誰もが泣ける物語が成立するのだ。
だから、この映画のメッセージはただひとつ「泣け!」ということだけだ。宗教心の問題も、友情の問題も、親子の関係の問題も、何も関係ない。観客はただ観て感動して泣けばいい。ただそれだけの非常な単純な映画であり、その単純な映画としてはかなりいい出来の映画である。
14歳にしては考えが幼すぎるとか、いろいろ突っ込みようはあるが、それらは瑣末なこととして涙と共に流れ忘れられるのだ。