Departure
2006/7/13
2000年,日本,80分
- 監督
- 中川陽介
- 脚本
- 中川陽介
- 撮影
- 柳田裕男
- 音楽
- 山田まゆみ
- 出演
- 大塚朝之
- 平敷慶吾
- 香川浩一
- 川津春
- 藤田久美
- 留美
- 白井貴子
沖縄・那覇、高校を卒業したばかりの一也、マサル、秀介の3人は、一也は東京の大学へ、秀介はロンドンへ留学に行くことが決まり、那覇での最後の夜となった。別れを惜しみ、分かれた3人はそれぞれ街でバラバラに過ごす。そんな3人の姿を追う。
『青い魚』でデビューした中川陽介監督が再び沖縄を舞台に取り上げた青春ドラマ。濃密な空間描写は秀逸だが、役者の稚拙さが目に付く。
この映画は日本映画というよりはアジア映画という感じがする。舞台が沖縄ということもあるのだろうが、日本というよりは台湾や香港に近い濃密な空気が映画の中に流れているような気がする。それを演出するのは、紺色の空気と強い湿り気だろう。
沖縄の風景というのは日本の中では限りなくアジアに近い風景だ。亜熱帯の湿気が街を錆び付かせ、茶褐色の街並みを生む。そして、文化の混交が生み出した雑多な感じもアジアの空気を伝える。そして夜になっても蒸し暑い空気は人々の肌を汗ばませ、その空気の濃さが夜を灰色ではなく紺色で埋め尽くす。
東京の夜のイメージは灰色だ。灰色の背景に色とりどりの光がちりばめられた無機質な夜。これに対して沖縄の夜は昼の青空の残像が残るかのような紺色の背景に暖色の灯がともり、それを湿気が包み込む有機的な夜なのだ。
この映画はそのような空気感を見事に表現している。沖縄の夜に紛れ込んだかのように、その湿気を感じる。この感覚はおそらくこの監督が沖縄出身ではなく、東京出身で沖縄を「発見した」ことから来るのではないか。沖縄にたどり着いたときに感じる独特の空気、それはナイチャーか沖縄を一度離れ、別のところで暮らしたことのあるウチナンチュにしかわからないものなのだろう。
だから、この映画のテーマである出発、沖縄から離れるということには確かに意味がある。沖縄は他とは違っている。ロンドンとも、東京とも、東京とロンドンは似ているかもしれないが、沖縄は明らかに違う。秀介の先輩がビリヤード場でいう。「もう帰ってくんなよ、帰ってきたら出られなくなるから」という言葉、この言葉は沖縄の独特さと居心地のよさを端的に表している。沖縄は特別な場所だ。だからこそここから出なければならない。そんなメッセージが込められている。
それは「出発」というものの普遍的な意味も投げかけているのかもしれない。安全な慣れ親しんだ場所から離れるということ、たとえ帰ってくることが約束されていたとしても、その出発の意味は大きい。そして出発する場所と向かう場所とのギャップが大きいほどその意味は大きくなるのだ。このドラマは登場人物(主人公3人とその相手となる3人の女性)のそれぞれが出発したり、出発しなかったりする。その誰かに自分を重ね合わせることが出来れば作品にも入り込めるのではないかと思う。
ただ、この作品は役者たちがそのリアリティを奪ってしまっている。ウチナーグチではなく、ヤマトグチであるということも大きな理由であるが、それよりもなによりも演技が拙いのが問題だ。主人公のひとり秀介はそれなりの“味”になっているといえなくもないが、他の2人は素人の域を出ていない。脇役はみなそれなりにうまいのになぜ主人公に拙い役者ばかりを使うのか… 沖縄という場所性を主張するならなぜ言葉に神経を使わないのか… 映像作りの緻密さと裏腹のキャスティングと演出のいい加減さがこの映画のおもしろさを半減してしまっている。そう感じずにはいられない。
もちろん素人の役者を使うことによって生み出されるリアリティもある。しかし、それを狙うなら現地沖縄で見つけた素人たちを使うべきだ。東京からわざわざ素人を連れてきて映画を撮る意味がまったくわからない。