ベルンの奇蹟
2006/7/26
Das Wunder von Bern
2003年,ドイツ,117分
- 監督
- ゼーンケ・ヴォルトマン
- 原作
- クリストフ・ジーメンス
- 脚本
- ゼーンケ・ヴォルトマン
- ロッフス・ハーン
- 撮影
- トム・フェーアマン
- 音楽
- マルセル・バルゾッティ
- 出演
- ルーイ・クラムロート
- ペーター・ローマイヤー
- ヨハンナ・ガストドロフ
- ミルコ・ラング
- ビルテ・ヴォルター
- サーシャ・ゲーペル
1954年のドイツ、地元のサッカーチーム、エッセンの大ファンである少年マチアスはチームのスターであるラーンのかばん持ちをし、息子のようにかわいがられていた。そのマチアスの父親はソ連の捕虜となり、消息が不明だったが、ある日12年ぶりに帰ってくるという便りが家族の元に届いた…
戦後のドイツ人に夢と希望を与えた54年のワールドカップ優勝をモチーフにドイツの人々の心の傷を描いたドラマ。
この映画は面白くはあるのだけれど、どこか中途半端という感覚を覚えずにはいられないものだ。この映画が素材とするのは、ドイツの戦後、サッカー、そして家族である。
ドイツの戦後は日本に負けず劣らず厳しいものだった。いや、分断ということを考えると日本よりはるかに厳しいものだったといえるのかもしれない。そして、このマチウスの父のように多くの元兵士(=元ナチス)がソ連で強制労働につかされた。日本でもシベリア抑留というのは過酷な運命の代名詞のように言われるわけだが、もちろんドイツでもその事情は変わらない。
そして、11年余もの不在を経て帰ってきた祖国に自分の居場所がないという不安、元の職場である炭鉱の仕事は戦争とその後の過酷な運命で刻み付けられた心の傷を蒸し返し、息子は自分を過酷な運命へと追いやった共産主義に傾倒する。自分は以前のようには家族に必要とされておらず、自分の存在を確認するためには自分が父親であるという唯一の権威にすがるしかない。そんな一人の男の悲しさをこの映画は描いている。
それは確かに伝わってくる。しかし、それがこの映画のメインというわけではないようなのだ。確かにメインのひとつではあるが、それだけで物語が展開していくわけではない。物語はもうひとつのプロットとしてドイツ代表の活躍を用意し、その父親の物語とドイツ代表の物語をマチアスによってつなぐ。そしてその代表の一人であるラーンをマチアスが父親のように慕っていることで、父親とマチアスとドイツ代表の関係は複雑さを増す。
しかし、結局ドイツ代表の活躍によって、サッカーによって全てはなんとなく解決していってしまう。これは、ドイツ代表の優勝というまさしく「ベルンの奇蹟」によって起こされた奇蹟なのだろう。サッカーとドイツ代表の活躍を通じて、全ての人は苦難を乗り越え、互いの関係を修復し、未来に希望を持てるようになった。このベルンでの奇蹟によってドイツ人全てに何らかの奇蹟が起きたのだ。
そして、奇蹟によって何かが結末を迎えると、その物語はどこか曖昧な漠然とした夢のようなものになる。だから、この映画もどこかそのような印象を残してしまうのだ。最後に「このチームが二度と一緒にプレーすることはなかった」という一文が残され、それが東西ドイツの分断とひいてはマチアスの家族の分断を暗示しているにしても、それが戦争のような厳しい現実としては迫ってこないのだ。それがどこかこの映画が中途半端というような印象を与える原因になっているのだろう。
しかし、戦争の傷跡というのはこのような奇蹟でもないとなかなか回復しないものだと思う。戦争が終わって60年以上がたつわけだが、ドイツだろうと日本だろうと戦争の傷は決してまだ完全に癒えたとはいえないし、決して癒えることはないのだろう。マチアスの父は息子とサッカーに支えられ、何とか自分を奮い立たせた。しかし、彼が以前の彼に戻ることは決してない。戦争とはそういうものだ。