M:i:III
2006/8/2
Mission: Impossible III
2006年,アメリカ,126分
- 監督
- J・J・エイブラムス
- 原作
- ブルース・ゲラー
- 脚本
- J・J・エイブラムス
- アレックス・カーツマン
- ロベルト・オーチー
- 撮影
- ダニエル・ミンデル
- 音楽
- マイケル・ジアッキノ
- 出演
- トム・クルーズ
- フィリップ・シーモア・ホフマン
- ヴィング・レイムス
- マギー・Q
- ジョナサン・リス=マイヤーズ
- ミシェル・モナハン
- ローレンス・フィッシュバーン
- ビリー・クラダップ
IMFのエージェント、イーサン・ハントは生涯の伴侶ジュリアを見つけ、現場を離れ教官となっていた。しかし、その婚約披露パーティの夜、教え子のリンジーが拉致されたという情報がもたらされる。イーサンは翌日リンジー救出のため再び現場へと戻る…
トム・クルーズ主演の大ヒット・スパイアクション・シリーズの第3弾。監督はTVシリーズを演出するJ・J・エイブラムスに変わり、前作よりはましに。
この作品が前作までと決定的に変わったことといえば、まず最初にひとつの結末が提示されるということだ。もちろんそれは最終的な結末ではないが、物語のどこかの段階でその結末に至るということは観客に明らかにされる。これは非常に重要なことだ。この数分のシーンがあることで、観客の考え方はがらりと変わる。このひとつの結末が有ることで、この結末に向けて物語が同展開して行くかという一点に観客の思考が絞られるのだ。
これを私は勝手に「コロンボ方式」と呼んでいる。TVドラマの「刑事コロンボ」では必ずドラマの最初に殺人シーンがあり、その後にコロンボが登場してきて、その殺人に至るまでの物語を解明して行く。日本では「古畑任三郎」がこの方式をとって(というよりはコロンボをままパクって)ヒットしたが、このやり方はTVドラマに限らず、映画でも小説でも使われるひとつの手法である。
この形式の利点は観客が余計なことを考えずにすむということだ。この映画で言えば、イーサンとジュリアは捉えられ、その首謀者はデイヴィアンであるというところまでは明らかになっており、観客はそれを頭に入れておけば、ボーっと映画を見ていても出遅れることはない。
そして、これは映画を作る側からすれば作りやすい方式であるということもいえる。なぜなら、観客の思考が絞られているならば、細部にはそれほど緻密さがなくてもゴマかせるからだ。観客の思考は結末へと向かっているから、それに関係ない枝葉末節の部分に観客はあまり拘泥しない。これに対して、結末が明らかになっていないと、観客はそのような枝葉末節の部分にも結末を導き出すヒントになるものが有るのではないかと注意深く見てしまい、それによって粗があればそれが目に付いてしまうのだ。
また、この作品は「コロンボ方式」を利用しながら、その結末から先に新たな物語を展開して行く方式をとっているが、この場合、どんでん返しを用意しやすいという利点も有る。最初に提示された結末の逆の意味を提示することで、簡単に観客を裏切ることができるのだ。そして、この作品もそのままその方式をとっている。
しかし、最近はこのやり方も使い古された感があり、このように途中の段階の結末が示された場合には必ずどんでん返しがあるということを観客も気づいてしまっている。だからこの映画も、実際は中盤あたりでその後の展開は読めてしまい、なんとなく知りしぼみの展開になってしまっているように思う。
だから、スパイ映画のプロットのスリルを求めるなら、この映画は不向きである。所詮といっては失礼かもしれないが、所詮TVドラマレベルのスリルであり、綿密に作りこまれた映画のスリルではない。もとがTVドラマであるだけに、これがこの映画の正しい姿なのだという気もするが、それなら別に映画ではなくTVでやればいいわけで、映画でやるからには2時間という時間を濃密なスリルで満たして欲しいと思うのだが…
アクションという面ではそれなりに満足行く映画である。トム・クルーズがでしゃばりすぎず、チームとしての動きがアクションとしておもしろい。特にマギー・Qが演じるゼーンはなかなかいいキャラクターだと思う。次回作は引退したイーサン・ハントはあきらめてゼーンを主役にした作品にしてみては?