モナリザ・スマイル
2006/8/22
Mona Lisa Smile
2003年,アメリカ,120分
- 監督
- マイク・ニューウェル
- 脚本
- ローレンス・コナー
- マーク・ローゼンタール
- 撮影
- アナスタス・N・ミコス
- 音楽
- レイチェル・ポートマン
- 出演
- ジュリア・ロバーツ
- キルステン・ダンスト
- ジュリア・スタイルズ
- マギー・ギレンホール
- ジェニファー・グッドウィン
- ドミニク・ウェスト
1953年、カリフォルニアから超保守的な名門女子大ウェルズリー校に美術史の教師としてやってきたキャサリンは初日から優等生すぎる生徒たちと、堅物な教師たちに面食らう。しかし、キャサリンは学校と生徒を変えようと意気込み…
豪華キャストで女性の自立をうったえる女性を描いたヒューマン・ドラマ。
50年という時間を経れば、当時は進歩的で排斥されがちだったようなものの見方も当たり前のこととなる。この映画がまず語るのはそのことだ。
当時は当たり前だった「家庭の主婦」というイコン(エンドロールでイメージとして提示される)は、いまでは“古きよき時代”の(本当によかったかどうかは別の問題だが)懐かしい風景となっている。そしてそれは同時に女性の抑圧の象徴であり、現代から見ればナンセンスな話である。特にコルセットは西洋近代から続く女性の抑圧の象徴であり、それが自由の象徴と捉えられていたことに大きな違和感を覚える。
この映画でジュリア・ロバーツが演じるキャサリンはほぼ完全に現代の価値観に合致し、それによって観客は容易に彼女に同一化することができる。その視線からこの当時の状況の理不尽さを吟味し、彼女の正当性を理解するのだ。
それはこの映画の中心的な“イコン”の一つであるゴッホとも呼応している。この映画の中でキャサリンはゴッホが生きてる間は1枚も絵が売れなかったといい、それが今では完全に大衆のものとなっているという。観客はこのゴッホにキャサリンの姿を重ね、彼女が当時は受け入れられなかったが、現在では完全に受け入れられているということを理解する。それはなかなか気持ちがいい体験である。何かが判ったような気になり、旧来の因習に反対する。その気持ちよさを味わうことが出来るというのはいい。
しかし「物事は見た目どおりではない」。
この映画に登場する生徒たちは様々なイコンである。両家の娘で優等生のベティ、自由奔放で周囲からは白い目で見られるジゼル、平凡だけれど性格はよいコニー、優秀で自立心もあるジョーン、彼女たちがイコンとして機能することでこの物語は非常にわかりやすくなる。最もキャサリンに反発していたベティが伝統的な価値観に失望し、キャサリンの側につく。ジョーンはキャサリンのことを理解しながら、自分自身の選択として伝統的な結婚を選択する。彼女たちのこの結末は、この程度の変化ならば、いまどのような人でも受け入れられるということを意味している。観客は50年前にタイムスリップし、その時代に同化しているからこの映画が何か進歩的なことを語っているかのように思ってしまうのだが、結局この映画は現代誰もが受け入れている価値観をなぞっているだけなのだ。
この映画は現代からみれば決して進歩的ではなく、むしろ保守的だ。その証拠に最も現代的といえるジゼルについての結末はあやふやにされている。相手が妻帯者であろうとかまわず恋愛をするジゼルはベティに“売春婦”とののしられ、そのベティの心の瑕を察してベティを抱きしめたところでそれ以降は舞台に現れなくなる。これが意味するのは彼女こそが他人の気持ちを理解できる最も強い女性であり、同時に弱い女性でもあるということだ。そのような女性をこの物語は置き去りにし、理想的な女性たちだけをイコンとして取り上げる。それでは何も語っていないことと同じだ。今では当たり前の変化を描いた当たり障りのない映画、結局これはそんな映画なのだ。
まあ、それでもこのような「新しいことをする人」には共感できるし、その挑戦を見ることはおもしろい。ハッピーエンドに終わることは予想できるけれど、予想通りハッピーエンドに終わればそれはそれで気持ちがいいものだ。特別な「何か」が描かれていることを求めないなら、十分楽しめる作品ではあると思う。