シリアナ
2006/8/28
Syriana
2005年,アメリカ,128分
- 監督
- スティーヴ・ギャガン
- 原作
- ロバート・ベア
- 脚本
- スティーヴ・ギャガン
- 撮影
- ロバート・エルスウィット
- 音楽
- アレクサンドル・デプラ
- 出演
- ジョージ・クルーニー
- マット・デイモン
- アマンダ・ピート
- クリス・クーパー
- ジェフリー・ライト
- ウィリアム・ハート
- アレクサンダー・シディグ
CIA工作員のボブ・バーンズは自分の渡したミサイルがテロ組織の手に渡ったおそれから現場を離れるが、巨大石油企業コネックスと小企業であるキリーンの合併に関して疑惑解明のための調査を命じられる。その合併には弁護士のベネット・ホリデイもかかわっており、彼はその裏にある不正をかぎまわる。
石油利権を巡ってアメリカ政府と巨大企業、アラブ諸国が繰り広げる情報合戦を描いたサスペンス。原作は元CIA工作員であるロバート・ベアの告発本。。
この映画の印象はまず散漫としているということだ。主人公的な人物としては、ジョージ・クルーニー演じるCIA工作員のボブ・バーンズ、マット・デイモン映じる経済記者のブライアン・ウッドマン、ジェフリー・ライト演じる弁護士のベネット・ホリデイがいる。バーンズは腕利きの工作員だが、自らの失敗がトラウマとなり、息子の進学の問題も引っかかっている。ブライアンは偶然にアラブの小国の王とその王子と懇意になる。しかし、彼は息子を失い、そのことが彼と妻の間に影を落とす。ベネットは石油企業合併の裏を探り、チャンスをつかもうとするがその裏にある陰謀の渦に巻き込まれ、父親との仲が私生活に影を落とす。
これらの主人公は同じひとつの問題、あるアラブの小国を巡る石油利権とテロの問題にかかわっている。しかし、彼らの行動が直接的に交わることはなく、その3人それぞれが主人公となるプロットが一つの結末に向かって収束して行くことはない。1本のドラマとしてはこれが一つの結末に向かって収束して行くほうがドラマティックであり、映画に没頭できるという意味では、この映画は映画的なおもしろさを欠いているといわざるを得ない。
しかし、この映画は完全なフィクションではなく、隠された事実を暴露するノンフィクションをもとに作られた映画である。そしてノンフィクションとしてのこの作品の目的のひとつは、湾岸戦争やイラクへの進軍といったアメリカ軍の軍事行動の背後にある陰謀を明るみに出すことである。簡単に言えば、アメリカ軍のアラブに対する外交(軍事行動を含む)の裏には常に石油利権を巡る目論見が存在しているということだ。
ベネットが調査する石油会社は確かに不正を働いていた。しかし、その不正は結局摘発されない。その不正にかかわった一部の人間がスケープゴートとなって逮捕され、不正によってもたらされた(アメリカを利する)結果は温存されるのだ。アメリカ政府はこのような交錯によって国の(とはつまり権力者の)利益を保護し、同時に(大衆に対しては)不正を許さないという印象も与える。
そして、その工作の対象がアラブの国となったときには容赦がない。そこには正義など存在しないという絶望的な空気だけがそこには残る。
製作総指揮に名を連ねるジョージ・クルーニーは『グッドナイト&グッドラック』でもアメリカの不正、陰謀を明るみに出そうとした。彼はハリウッド・スターという地位を利用して、自分の言いたいことを言っているのだ。しかし、それでも本当に全てを明るみに出すことはできない。それをやってしまうと、政府から敵視されるよりも大衆から敵視されてしまうからだ。
だから、この映画でもアラブの一人の青年がテロリストになって行く描写は控えめなものにとどまっている。その青年はアメリカの暴虐に憤慨してテロリストになるのではなく、生活の苦しさから逃れるために宗教に救いを求め、そしてテロリストになるのだ。もちろんその生活の苦しさをもたらしているのはアメリカをはじめとする後期資本主義国家とグローバルなコングロマリットなのだが、そのことをあけすけに語ろうとはしないのだ。
だから、そのことを知りたくない人々はそのことに気づかなくてすむようになっている。この映画は世界の仕組みについて意識的だけれどもそれほど真剣に考えてはいない人に向けた映画である。
「あなたはこの世界が見た目どおりではないことは知っている。そして、それはあなたが予想したとおりにどす黒い陰謀にまみれたものなのだ」とこの映画はそのような人々に告げる。しかし、もっと具体的なことを知りたい人にとっては曖昧で抽象的なものにしか写らない。今まで何人かの人たちがくり返し言って来たことのそれまたくり返しでしかないからだ。
そして、意識的ですらない人には退屈な映画でしかない。それをそれぞれの主人公に家族の問題を抱えさせることで掬い取ろうとしているが、それはあまり成功しているようには思えない。それはこのような陰謀が遠い世界のできごとではなく、あなたのまわりにいる普通の人々にもかかわりのあることだと示唆しようとしているのだが、弁護士やCIA工作員やスイスに住む金持ち記者に人々が共感を覚えるとは思えないのだ。
私はこの映画に可も不可もつけない。それはこの映画が受け取り手によってまったく捉えようの違う映画であり、この映画は出発点でしかないからだ。この映画を見て何かを感じた人は、もっとちゃんとしたものを読んだり見たりすることが必要だし、何も感じなかった人はこの映画が何を言っているのかを理解できるようになる必要がある。重要なのは、この映画の先にあるもので、この映画そのものではないのだと私は思う。