ブロークバック・マウンテン
2006/9/19
Brokeback Mountain
2005年,アメリカ,134分
- 監督
- アン・リー
- 原作
- アニー・プルー
- 脚本
- ラリー・マクマートーリー
- ダイアナ・オサナ
- 撮影
- ロドリゴ・プリエト
- 音楽
- グスターボ・サンタオラヤ
- 出演
- ヒース・レジャー
- ジェイク・ギレンホール
- ミシェル・ウィリアムズ
- アン・ハサウェイ
1963年、ワイオミング州のブロークバック・マウンテン、夏場の羊の放牧のために雇われたイニスとジャック、寡黙で真面目なイニスと明るく奔放なジャックは互いに魅かれ、いつしか友情を超えた関係を持つ。そして、仕事が終わった2人は別れ別れになり、それぞれの生活を営み始めるのだが…
アニー・ブルーの短編小説をアン・リーが監督して映画化。60年代のアメリカ南部のホモセクシュアルという微妙な題材を描いて話題を呼んだ。
この作品はテーマ性に溢れているようでいながら、結局何がテーマなのかわからない映画なのかもしれない。最大のテーマはもちろん同性愛である。60年代という時代、南部という地域で同性愛が許されるはずもなく、彼らはそれをひたかくしにする。その隠された関係がこの作品のテーマなのである。そしてそのテーマは現在でも完全に市民権を得たわけでは決してない同性愛という現代的なテーマにつながって行くはずだ。
もしそうならば、この物語は主人公2人のどちらかあるいは両方の苦悩を物語の軸として描くに違いない。イニスがジャックへの気持ちと結婚生活との間で悩み、ジャックもイニスへの想いと自分の生活との間で悩む。特にイニスは結婚して子供がおり、しかも決して裕福ではない。さらに映画の後半では同性愛者がリンチにあって殺されたという子供の頃の経験も語られる。彼の苦悩を描けば物語りはスムーズにすすみ、観客は時代の理不尽さをひとつの問題として認識するはずである。
しかし、この物語はそうはすすまない。イニスもジャックも苦悩しはするが、それが物語を引っ張る軸としては機能しないのだ。この物語の主人公はイニスだと思うが、イニスにとってその苦悩は仕事、娘との関係といった日常の様々な苦悩のひとつでしかない。そのため、物語は散漫になり、観客はテーマをつかみ損ねる。ジャックにとってはこの苦悩はより根源的な苦悩であり、自分の存在の中心にある苦悩なのだが、物語がイニスを中心に組み立てられているため、そのジャックの苦悩が物語の軸となることはないのだ。
そのようにしてテーマをつかみ損ねた観客は途方にくれ、あるいは裏切られたような感覚を覚える。「これはホモセクシュアルについての映画ではなかったのか」と。そして退屈になる。物語がどのように転ぼうと、それはどこか遠い国の出来事のように感じるからだ。
ただ、これが失敗ということなのかというと、それは難しい。もしかしたらこの映画はこのようにテーマをずらすことによって逆にそのテーマについて考えさせようとしているのかもしれないのだ。ホモセクシュアルというものが、日常の中の苦悩のひとつでしかないということを語ることによって、その問題の本来的な意味を明らかにしているのかもしれないのだ。
それはつまりホモセクシュアルという問題は極端に問題化されすぎているということだ。イニスやジャックはなぜ悩むのか。それは信仰心や倫理の問題ではなく、社会との関係の問題である。村八分にされるということを怖れてイニスは現在の状況に甘んじる。それは果たして根源的な問題ではないのか。根源的な問題とは自己の欲望にまつわる問題なのか、それとも自分が生きるために必要な社会との関係の問題なのか、その決して答えが出ない問題をあえてここで浮かび上がらせようとしているのではないか。
退屈さにめげずに、考えて見るとそんなことが意識に上るかもしれない。が、やはりそれはそれでなかなかつらい。