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ベストセラー

メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬

★★★.5星

2006/10/2
Los Tres Entierros de Melquiades Estrada
2005年,アメリカ=フランス,122分

監督
トミー・リー・ジョーンズ
脚本
ギジェルモ・アリアガ
撮影
クリス・メンゲス
音楽
マルコ・ベルトラミ
出演
トミー・リー・ジョーンズ
バリー・ペッパー
ドワイト・ヨアカム
ジャニュアリー・ジョーンズ
メリッサ・レオ
フリオ・セサール・セディージョ
preview
 メキシコとの国境沿いのテキサス州の街でメキシコ人カウボーイのメルキアデス・エストラーダの死体が発見される。彼の友人のピートは彼を殺した犯人を見つけ出し、同時に彼と約束したように彼を故郷のヒメネスに埋めてやろうと決意する。しかし、不法入国者であるメルキアデス殺しの犯人を警察はまともに捜そうとしない…
  名優トミー・リー・ジョーンズの初監督作品。『アモーレス・ペロス』などのギジェルモ・アリアガによる脚本が秀逸。
review

 映画の展開は非常に淡々としている。テキサスの本当にまばゆい光の中、トミー・リー・ジョーンズ演じる主人公のピートは淡々と物事をこなす。前半はメルキアデスの死からはじまる現在の時間軸とピートとノートンの2人の記憶の時間軸を織り交ぜながら事件の全容を解明して行くことに費やし、後半はメルキアデスの故郷ヒメネス目指してただひたすら旅をする旅路を映すのだが、その全てが淡々としているのだ。
  しかし、その淡々とした中でピートは唐突に凶暴性や人間性を見せる。このギャップが退屈になりそうな物語を引き締め、そこに隠されたピートの感情を観客に読み取らせる余地を与える。その強弱のつけ方が非常にうまく、淡々としているにもかかわらず、あきさせないのである。
  そして、このテキサスそしてメキシコの強烈な光線も印象に残る。それは風景をのっぺりとしたものに見せ、荒涼とした広大な景色の不毛さを強調する。と同時に輪郭のまったくぼやけないくっきりした影がその荒涼とした空間に存在する人やものを際立たせるのだ。その映像はそこに写っている世界が、「ここ」とはまったく違う世界であるということを示しているように見える。

 この映画を見ながら私はなんだか狐につままれたような感じがした。それはこの風景の非現実感もそうだし、ピートの行動の不可解さもそうである。それはある意味では都会からやってきたノートンの感覚に近いものである。
  だが、観客は決してノートンに同一化することはない。世界に対してノートンと同じように感じているにもかかわらず、心情的にはあくまでもピートの心情に近いところにいるのだ。この感覚の齟齬もこの作品にどこか不思議な印象がある原因のひとつだろう。
  メルキアデスを殺してしまったノートンと彼との約束を守り彼を葬るために長い旅をするピート、その2人がいたらピートのほうに同情的になるのは当たり前の話だ。しかもノートンはプロローグ的な部分で暴力的な傾向を明らかにされてもいる。にもかかわらずピートの遺体の扱い方やノートンに対する行動は私たちの理解をこえている。観客はそのギャップの間で戸惑うのだ。

 しかし、最後まで見るとこの疑問も氷解する。最後にノートンはピートに銃で脅されながらもメルセデスに対して心からの謝罪をする。涙ながらにメルセデスにわびるのだ。それを見ながら思うのは、このたびはノートンがそれを理解するための旅立ったということだ。ノートンはメルセデスを殺してしまったことを後悔してはいたが、本当にはその意味を理解していなかった。しかし、この旅で不当な扱いを受け、また死の恐怖を実感として感じることによってメルセデスを理解したのだ。彼は自分という視線からだけではなく、メルセデスという他者の視線から物事を見ることを学んだのだ。そのことは彼の最後の言葉が「大丈夫か?」という他人を心配する言葉であったことからもはっきりとわかる。
  他者とであったときに、その相手が感じ、考えることを想像することの難しさ、この映画はそのことを非常にうまく表現した映画であるのだと思う。それはやはりメキシコ人という他者としてハリウッドに入って行ったギジェルモ・アリアガならではの視線なのではないだろうか。

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: アメリカ2001年以降

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