間違えられた男
2006/10/5
The Wrong Man
1956年,アメリカ,105分
- 監督
- アルフレッド・ヒッチコック
- 原作
- マックスウェル・アンダーソン
- 脚本
- マックスウェル・アンダーソン
- アンガス・マクファイル
- 撮影
- ロバート・バークス
- 音楽
- バーナード・ハーマン
- 出演
- ヘンリー・フォンダ
- ヴェラ・マイルズ
- アンソニー・クエイル
- ハロルド・J・ストーン
クラブでベースを弾くジャズマンのマニーは愛する妻と2人の息子との4人暮らし、生活は決して楽ではなく、ローズの親知らずの治療費を工面するために保険会社に借金に行く。その事務所の事務員たちは彼のことを以前にあった強盗の犯人と考え警察に通報、マニーは警察に同行を求められる…
ニューヨークで実際にあった事件を元にしたヒッチコックのサイコ・スリラー。ヒッチコックの多くのサスペンス作品とは少し違う味わいがある。
この事件はヒッチコックが映画化するだけあって非常にヒッチコック的な事件である。取り違いや勘違いが巻き起こす悲劇、自分のせいではない偶然によって悲劇に巻き込まれ、そこから逃れられなくなってしまう主人公、それはまさにヒッチコックが何度もくり返し描く主人公そのものだ。
しかし、この映画はヒッチコックの多くの名作のようなスリルはあまり感じられない。確かにマニーの妻ローズに起こることは悲劇的であり、見ていてつらくなってくるようではあるがそれだけで、(不謹慎かもしれないが)おもしろくないのである。
それはなぜだろうか。考えて見ると、最も大きな理由は、この取り違いが完全に偶然であり、誰かが意図したものではないという点だ。この物語の登場人物は誰も悪意はない。だれもマニーをはめようとはしていないのだ。だからマニーはローズには本当にどうしようもない。誰かが後ろで糸を引いているのなら、その黒幕を突き止めてその理由を暴き無実を証明することができるのだが、その黒幕が不在であるためにマニーはとにかく他の人を説得できる理由を何か探さなければいけないのだ。それは非常に不毛というか疲れる作業だし、同時にドラマティックでないだけに退屈な作業である。その退屈な作業を淡々と映すこの映画にはやはりスリルがないのである。
そしてまた、彼らがはまって行く勘違いの悲劇というのが、今から見るとお粗末なものに見えてしまう。警察の捜査はずさんだし、目撃者たちの証言は先入観に囚われている。目撃者たちは一人がマニーを見て強盗だと考えたのに引きずられ、一種の群集心理で彼を犯人だと決め付けるのである。その中で、マニーの弁護士が、マニーが犯行の日には歯が腫れていたはずだという点に注目するのはなかなかおもしろい。目撃者というのは犯人の特異な点を記憶しているというのは最近よく言われることだ。人相はよく覚えていなくても頬に傷があったとか、アフロヘアだったとかという特長的なことは覚えているといわれ、弁護士はこれを逆に利用しようとしたというわけだ。
しかし、実際にそのことが法廷で扱われる場面は出てこず、拍子抜けである。
結局この作品は実際の事件がモデルだったことでヒッチコックの自由な想像力が飛躍できなかったのではないかと思う。ヒッチコックの作品はほとんどが大団円で終わるが、それによって悲劇がどこかで喜劇的なものになる。「つらく悲しい体験ではあったけれど、狐につままれたような可笑しな体験でもあった」そんな感覚がどこかにあるのである。しかし、この物語にはそれがない。この物語は徹底的に悲劇であり、救いがない。だから見終わったあともなんだかすっきりしない。