ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女
2006/10/11
The Chronicles of Narnia: The Lion, The Witch and The Wardrobe
2005年,アメリカ,140分
- 監督
- アンドリュー・アダムソン
- 原作
- C・S・ルイス
- 脚本
- アンドリュー・アダムソン
- クリストファー・マルクス
- スティーヴン・マクフィーリー
- アン・ピーコック
- 撮影
- ドナルド・マカルパイン
- 音楽
- ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
- 出演
- ウィリアム・モーズリー
- アナ・ポップルウェル
- スキャンダー・ケインズ
- ジョージ・ヘンリー
- ティルダ・スウィントン
- リーアム・ニーソン
戦火のイギリス、空襲を避けて田舎へと疎開したピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーの兄弟は田舎の大きな屋敷に預けられる。その屋敷でかくれんぼ中、末娘のルーシーが大きな衣装ダンスに隠れると、そのタンスは雪に覆われた世界につながっていた…
C・S・ルイスの名作ファンタジー「ナルニア国物語」の映画化。ディズニーがCG技術を生かして夢の世界を余すところなく表現した良くも悪くもディズニー映画。
まず思うのは実写とCGを組み合わせれば、もはや表現できない世界はほとんどないということだ。確かにCGの持つ冷たい触感は今も残っているが、物語に没頭すればそれはどんどん気にならなくなって行く。最初の汽車のCGはお粗末という気がしたが、ビーバーの表情やアスランの動きにいたってはまったく違和感なく見ることが出来る。それはまさに想像の世界が映像化された感じである。
そして、その映像の力に支えられてこの物語も魅力的なものになっている。物語は単純で勧善懲悪のお伽噺の世界ではあり、どういう展開になって行くのかは原作を読んでいなくとも予想がつくようなものではあるが、それでもその展開にはスリルがあり、4人の兄弟が繰り広げる冒険にワクワクさせられる。これはもちろん名作である原作の力も大きいが、様々な物語を子供のためのファンタジーとして完成させてきたディズニーならではのおもしろさであるだろう。
だから、子供には文句なく面白い映画だと思う。主人公たちは自分と同じ子供であり、その子供たちが夢のような世界で自分が憧れるような冒険をする。多くの子供がこの世界にははまるだろうし、私も子供の頃にはこの原作を読んでその世界に浸ったのを思い出す。やはりファンタジーというのは楽しいし、おもしろい。そんなことを再確認させてくれる作品だ。
しかし、ディズニー映画を見て常に思うようにこの作品でも、多くの疑問を感じずにはいられない。この完全で歪みのないディズニーの世界、それは子供に夢を与えると同時に固定観念をも与える。この映画で繰り広げられるのは美しいものと醜いものの戦いである。基本的に主人公たちの側にいる生き物たちは美しく、白い魔女の側につく生き物は醜い。これは「美しいものがよくて醜いものが悪い」という価値観を子供たちに植え付ける。しかも同時に美しさの基準をも植えつけてしまうのだ。
これにはやはり問題があると思う。子供は単純なものを好むから、子供に受けるためにはなるべく物事を単純化する必要があるのは確かだ、しかしだからこそ世界が多様であることを教え、単純な構造に潜む誤謬を教えるべきなのではないか。醜く見えるものの中にも善はある。それを教えるのは非常に重要なことではないか。
そしてもうひとつ、このCG技術の進歩が私には寂しい。この作品をはじめとしていま多くのファンタジーが映画化されているが、それによってそのファンタジーの持つイメージが固定化されてしまっている。ファンタジーとは子供の想像力を刺激して、現実とは違う世界を頭の中に創造させるものである。この物語に登場する様々な生き物の姿や風景を文章から思い描き、頭の中で映像化する。その作業を映画は奪ってしまうのではないか。文字で書かれた物語を読む子供たちはみな違う魔女の姿を思い浮かべているはずだが、この映画を見てしまったら、その後で原作を読んだとしても、思い浮かべる姿はみな同じだ。そのようにして想像力の飛躍が妨げられるということが私にはたまらなくさびしい。
単純なアニメや稚拙な特撮ならば、イメージと違うとってそれを否定することもできたが、ここまで映像が緻密になってしまうとそのイメージは強烈で子供の想像力がそれにかなわなくなってしまう。子供たちは与えられたイメージを受け入れて、それで世界を構成してしまう。杞憂かもしれないがそれは子供の自由な発想力を奪い、新しいものを生み出す想像力を育てるのを妨げるような気がしてならない。
映画としてはおもしろいのだが、あまり小さな子供に見せるのは少し考えものかもしれない。