エスケープ・フロム・アフガン
2006/10/19
Escape from Afghanistan
2002年,アメリカ,80分
- 監督
- ティムール・ベクマンベトフ
- ジェナディージ・カジュ
- 脚本
- ティムール・ベクマンベトフ
- 撮影
- フュドア・アランシェフ
- セルジ・トロフィモフ
- 音楽
- アレクサンダー・ヴォティンスキー
- 出演
- バリー・クシュナー
- ヴィクター・ベルツビスキー
- デヴィッド・キールド
- マイケル・カーピンクス
80年代のソ連のアフガン進行のさなか、テレビ記者のパーマーはソ連兵が捕虜に取られたというムシャヒディンの基地への潜入を図る。場所はパキスタンのアフガン国境近く、パーマーは司令官に賄賂を渡して捕虜へのインタビューを取り付けるが…
アメリカで作られたソ連のアフガン侵攻を扱った映画。テーマは重いが戦闘シーンが映画の大部分を占め、内容は薄い。
ソ連のアフガン侵攻についての映画といえばソクーロフの『精神(こころ)の声』がまず思い浮かぶ。この6時間半に渡るドキュメンタリーを除けば、この未曾有の戦争について語るのは『ランボー3 怒りのアフガン』くらいである。
そんな中、今度はアメリカがアフガンに侵攻(アメリカ的に言えば解放だが)し、それに関してはいくつかの映画が作られた。この映画はそんなアメリカによる侵攻の直後に作られた。その意味ではタイムリーでもあり、示唆的でもあるはずだが、逆にあまりに近すぎて語れないということもいえる。
考え方としては、アメリカによるアフガン侵攻については(まだ世論がそれを支持する情勢にあった頃には)批判的なことを描けない以上、何か別の題材にそれを転記して、抽象的に描く必要があったということだ。そのため同じアフガンを侵攻したソ連軍についての映画を撮ったということだと思う。
その考え方は非常にいいと思うし、映画の最後の最後にはそのようないとも少しは垣間見える。しかし、全体的に見ると戦闘シーンがやたらと多く、特に前半はほとんどが銃撃戦のシーンで構成される。しかもその段階では登場人物たちのことがよくわからず、主人公の記者の人間性もわからないからその先頭のどこかに身を置くことは出来ず、完全な傍観者として暗くて誰が誰だかわからない銃撃戦を見るしかない。この部分は非常に退屈だ。この前半部分からこの戦争が果てしない泥沼であるということは伝わってくるが、ただそれだけのことをいうために無駄に30分を使うというのはどうにも納得がいかない。
そして、さらには最終的にアメリカ(だけ)が善であったということをほのめかすのもなんともその時代のアメリカの観客におもねるようで納得が行かない。このB級低予算映画からはタイムリーな題材を使ってしかもアメリカをいいものにして観客を味方につけようという意図が見え見えなのだ。
実際にはソ連のアフガン侵攻というのはソ連とアメリカという冷戦構造+ムスリム(特にイラン)という複雑な構造の産物である。アメリカは決して中立な仲裁者ではなかったし、むしろ最初はソ連と対抗するためにアフガン側を支援していた。だからソ連兵たちが仲裁者として表れたアメリカを信用しないのは当然のことだ。彼らはアメリカ軍が売った兵器によって散々苦しめられてきたのだから。
しかし、その後はイスラム過激派のテロに対抗するためアメリカがソ連によって擁立された共産主義政権を支持するようになるのだから… まあ、それはこの映画の物語のあとの話である。ソ連によるアフガン侵攻とアメリカによるアフガン侵攻の間、アフガンでは激しい内戦が行われていた。この映画はそのことをまったく描かず、アフガン人たちの姿が見えてこない。そしてそもそもこの映画の舞台はアフガニスタンではなくパキスタンだ。
だからこの映画は『エスケープ・フロム・アフガン』でもなんでもない。題名をつけるとしたら『仲間割れ・イン・パキスタン』というところが関の山ではないか。