運命じゃない人
2006/10/27
2004年,日本,98分
- 監督
- 内田けんじ
- 脚本
- 内田けんじ
- 撮影
- 井上恵一郎
- 音楽
- 石橋光晴
- 出演
- 中村靖日
- 霧島れいか
- 山中聡
- 山下規介
- 板谷由夏
婚約者の家を出た真紀は質屋で婚約指輪を3000円といわれ、途方に暮れてレストランで泣きそうになっていたところを一人の男に声をかけられる。一方、お人よしのサラリーマンの宮田武は、親友で私立探偵の神田から電話で、大事な話があるからといってレストランに呼び出される…
2002年にPFFアワードに入選した内田けんじ監督のスカラシップ作品。カンヌ映画祭にも正式出品された。脚本の素晴らしさは新人らしからぬ才能を感じさせる。
映画の序盤はなんともさえない男の話である。半年前に別れた恋人のことが忘れられない男のために、親友が何かをしてあげようとする。たまたまその相手になったのは婚約者と別れたばかりでとまるところもない女、そんな2人の間でぎこちない会話が交わされ、しかし何か暖かいものがある。映画はこのまま続いて行くのだろうかと思わせるが、その夜がいったん幕を閉じたところで物語は急展開する。
ここから先の展開は本当におもしろい。最終的には同じ時間を3つの視点から見ることになるこの物語は穏やかな恋愛もしくは人間ドラマから一変、サスペンスフルな物語になる。最初に語られた穏やかな物語の裏にあるめまぐるしい展開、「あーこれがこうで、これがこうなっているのかー」とパズルのピースが一つ一つぴたりとはまって行くような快感がそこにはある。
このようなひとつの時間を複数の視点から見る映画というのは結構ある。すぐに思いつくのは『パルプフィクション』あたりだろうか。このような作品では隠されていたものが明らかになるという面白みが随所にちりばめられることになり、それが観客をひきつけるわけだが、同時に整合性というか、複数の視点から眺めた場合に「無理がある」と思わせない「隠し方」が重要になってくる。
その意味でこの作品の脚本は本当に素晴らしいと思う。表面に見えていたものを裏切りながら、しかもその表面の事実を信じても仕方がないような背景が作りこまれている。「目に見えているものが真実とは限らない」という、現象学的というか哲学的な思考にまで飛躍してしまう。しかし、さらに素晴らしいのは「目に見えているものが真実とは限らない」だけでなく、「目に見えているものはやはり真実である」という概念も提示されているという点だ。それはつまり真実とはそれぞれにとって異なっているものだということ、全ての人にとって目に見えているものが真実であり、それは同じものについて複数の真実がありうるということである。
それを内田けんじは「ちがう星」という言葉で表現する。それはいわば違う次元、違うフェーズ、違う視角ということであり、人はそれぞれに異なる現実を生きているということである。ここでは宮田武だけが激しく違う「星」に生きているわけだが、人間はみなそれぞれに自分だけの星を持っていて、それは微妙に重なり合いながら、しかし完全には一致しない。
それは当たり前といえば当たり前のことだが、それを映像で見せられると妙な説得力があるし、この説得力は同時にこの脚本家/監督の人間に対する観察眼の鋭さにもよるのだと思う。宮田武の裸足の足に典型的に表れる絶妙な人間描写が、言葉ではなく映像で何かを語ることの“効果”を端的に表す。
そのような細部の“語り”と細かい部分の整合性というか隠し方を検証して見るためにももう一度見てみたいと思わせる映画だ。 この内田けんじという人は監督としてももちろんだが、脚本家としても活躍できる人ではないかと思う。この人の脚本を他の人が監督したときにどのような作品が生まれるのか、それも見てみたい。