かごや判官
2006/11/13
1935年,日本,63分
- 監督
- 冬島泰三
- 原作
- 岡本綺堂
- 脚色
- 冬島泰三
- 撮影
- 伊藤武夫
- 音楽
- 直川哲也
- 杵屋正一郎
- 出演
- 林長二郎
- 坂東好太郎
- 高田浩吉
- 坂東橘之助
- 飯塚敏子
江戸は馬喰町で殺人事件が起きる。そしてそこに出入りの道具やが下手人として捉えられ、拷問末自白するが、大岡越前は何か納得がいかない様子。一方、かごやの権三と助十はその夜、怪しい浪人者を見かけたのだが、確信がなく、罰を恐れて届けられずにいた…
岡本綺堂の市井もの「権三と助十」の映画化。大岡越前を林長二郎(長谷川一夫)が演じ、軽妙な物語を演出している。
この作品はいわゆる大岡越前もの、「大岡政談」の映画化のひとつである。「大岡政談」といえば元は講談、江戸時代から語り継がれてきた物語だが、その映画化と言ってもまず思い浮かぶのは、林不忘が「新版大岡政談」としてまとめた原作を映画化した『新版大岡政談』である。これが作られたのは1928年、マキノ、日活、東亜が競って映画を制作した。中でも伊藤大輔が監督し、大河内伝次郎が丹下左膳と大岡越前を演じたバージョンが有名である。
この作品が作られたのは、それから下って7年後、1935年の作品である。この作品、主演は林長二郎となって、林長二郎が大岡越前を演じているのだが、大岡越前の登場シーンは多くはなく、奉行所の壇上に座ったまま一歩も動かない。だから、この映画は林長二郎の映画といいながら、その名前を借りた作品に過ぎないともいえるのかもしれない。林長二郎演じる大岡越前が事件を解決するのは大岡政談のパターンそのものだが、動き回るのは彼以外の人々であり、映画の主人公といえるのはかごやの権三を演じた阪東好太郎だろう。坂東好太郎も大物の役者ではあるが、大看板の林長二郎と比べるとまだまだ小物、この奉行と町人の関係のように、人気には雲泥の差があったのだろう。
したがって、林長二郎の作品としてみると物足りないが、その物足りなさが何よりも林長二郎の人気のほどを明らかにしていると見るとこは出来る。この年、林長二郎が出演した作品は9本、その中には大ヒット作となり、今も名作といわれる『雪之丞変化』の第一篇、第二篇も含まれている。松竹京都の看板として数多くの作品に出演し、客を呼ぶにはこの作品のような出演シーンは少ないが、主役として名前を張れる作品というのも必要だったのだと思う。
作品としては非常に軽妙で、今風にいうならサスペンス・コメディである。始まりも殺人事件の現場で、その下手人探し、どうもその犯人が冤罪らしいということになって、その真犯人らしき人物を知っているかごやのふたりが騒動を起こす。
長屋に住む二人が大家さんに相談に行くだ行かないだともめたり、夫婦喧嘩に兄弟喧嘩、果ては長屋の用心棒の浪人まで登場してすったもんだの大騒ぎ、これはれっきとした時代劇役者たちが演じているのだからなかなか面白い。
そして、全体的に見ると、どうも落語臭い雰囲気を感じる。もちろん大岡政談の中でももっとも有名な「三方一両損」は落語の演題だから、この話も落語として語られてもまったくおかしくない話であると思う。実際はこの話の原作である「権三と助十」は岡本綺堂の芝居の本で、前進座を中心に舞台でもくり返し上映されている。映画でも1962年に『サラリーマン 権三と助十』なんていう作品が作られたくらいの人気の題目である。話が非常にすっきりしているし、権三と助十に大岡越前というキャラクターの演技分けもしやすいし、芝居や映画にするのにはいい題材だと思う。
この作品の場合、権三を演じた坂東好太郎がなんと言っても目立ったが、助十を演じる高田浩吉もよかったし、権三の妻を演じた飯塚敏子もなかなか面白かった。大看板林長二郎の力を借りながらも、見てみれば、実質的に主役を演じる役者たちにも力があり、短く軽妙な作品でありながら見ごたえがある。大岡政談ものの一作でもあり、林長二郎ものの一作でもあり、数多くある似たような作品の中に埋もれがちの作品であることは確かだが、映画史を掘り起こしていけばこんな佳作がポンポン出てくる。1930年代という時代は日本映画にとって本当にいい時代だったのだと思う。
この時代の作品を観たときにいつも書くのだが、その作品の多くがすでに失われてしまったのは悔やんでも悔やみきれない。この作品でも私が見たプリント(おそらく他のプリントが残っているとも思えないが)では、一部サウンドトラックが欠落していた。おそらくシナリオが残っていたからであろう、字幕によってそのセリフが補われてはいたが、やはりこの作品も失われかねない作品だったのだということを実感する。京都が第二次大戦の戦火から逃れたこともあって、京都に保存されていた作品は数多く残っていて、松竹京都の看板役者だった林長二郎の作品も多くが残っているはずだが、ビデオやDVDなどで気軽に観れる作品は少ない。
永遠の二枚目、長谷川一夫、彼がなくなってもう20年余、一部のファンを除いては余り、大きく取り上げられないのが現状だが、そろそろ見直されてもいい頃だと思う。彼の生まれは1908年だから、2008年になったら、生誕百年の大回顧が行われるのだろうか。それを期待したいと、キリリと上がった大岡越前の眉毛を見ながら思った。