クローサー
2006/11/27
Closer
2004年,アメリカ,103分
- 監督
- マイク・ニコルズ
- 原作
- パトリック・マーバー
- 脚本
- パトリック・マーバー
- 撮影
- スティーヴン・ゴールドブラット
- 音楽
- モリッシー
- 出演
- ジュリア・ロバーツ
- ジュード・ロウ
- ナタリー・ポートマン
- クライヴ・オーウェン
新聞社に勤めるダンはニューヨークからやってきたストリッパーのアリスと出会う。1年後、2人は同棲を続け、ダンはアリスの経験を描いた小説を出版することとなった。ダンはそこでカメラマンのアンナに出会い、恋に落ちる…
ジュード・ロウがなんとも煮え切らない男を演じた恋愛劇。もとが舞台だけに演劇っぽいところが退屈ではある。
やっただのやらないだの、愛してるだの愛してないだのくどくどと言い続ける約2時間の映画。とにかくジュード・ロウ演じるダンがいやらしいというか、忌々しいというか、感じ悪い。でも、「こういう奴いるよなー」というキャラクターでもある。
結局ダンはまず全て自分の都合で動いている。しかも行き当たりばったりに。そしてその行き当たりばったりは彼の欲望の発露に他ならない。ただ自分の欲望を満たすために行動する。それだから彼の行動は周囲に毒を撒き散らす。
もう一人の男ラリーも自分の欲望を満たすために行動するのだが、彼のほうが一枚上手で大体の場合にはどうすれば自分の欲望を満たせるのかという計算が働いている。だから、彼のほうがダンよりもうまく生き、撒き散らす毒も少ない。
それに比べて女たちはなんともしおらしい。彼女らも自分の欲望に正直ではあるが、その実現のために自ら策を弄したりはしない。彼女たちは男に対して完全に受身である。この男女像というのはどうも旧態然としていて落ち着かないが、それくらいのステレオタイプで描かないとこの物語は4人の人間の欲望のぶつかり合いになって、まったくまとまりがなくなってしまったのかもしれないという気もする。
しかし、もっと映画的に登場人物の内面に迫る描き方をすれば、それくらい「えぐい」物語でもおもしろくなったのかもしれないと思う。この作品は全体を通して演劇的な匂いがする。それは登場人物ひとりひとりを捉えるよりも全体を俯瞰的に捉えているからではないか。登場人物それぞれの感情を描くよりもその関係を描く、それによって全体像を示して、そこからそれぞれの感情を想像させる。そのようなやり方では今ひとつ映画に入って行けない。だから、この中の誰にも共感できず、なんだか結局何がいいたいのかわからない欲望の物語を見せられて辟易するしかないのだ。
そんな中でもナタリー・ポートマン演じるアリスはなかなかいいキャラクターだったと思える。オーソドックスなハリウッド映画なら、彼女を主人公に仕立てて物語を語って行くのではないかと思う。そして、彼女の物語を構成する意味で時折唐突に1年や1年半という時間が過ぎるもの効果的だ。一定のペースで物語が進行して行くのではなく、このように不規則に時間がジャンプすることで、その間の出来事を類推させるという作業を観客に強い、観客をあきさせないですむ。
まあ、それでも多少飽きてしまったが、非常に現実的な映画でもある。しかし、あまりに現実的な映画はやはり面白くないのだという好例ともいえるかもしれない。