らくだの涙
2006/12/8
Die Geschichte Vom Weinenden Kamel
2003年,ドイツ,91分
- 監督
- ビャンバスレン・ダヴァー
- ルイジ・ファロルニ
- 撮影
- ルイジ・ファロルニ
- 出演
- ドキュメンタリー
モンゴルの草原に春がやってきた。遊牧民の家族が飼うらくだも出産シーズンを迎え、一頭のらくだが難産の末、白い子らくだを産み落とす。しかし、親らくだはなかなか乳をあげようとしない。家族は親らくだの乳を搾り子らくだに与えるが…
ドイツのモンゴル人映画監督ビャンバスレン・ダヴァーがイタリア人のルイジ・ファロルニと共に制作したドキュメンタリー。
ドキュメンタリー映画が一般的に上映されることが増えてきたのはいつごろからだろうか。近年のドキュメンタリーはいわゆるドキュメンタリーというイメージとは異なり、様々な趣向を凝らしている。監督自ら出演して突撃取材をしてみたり、過酷な実験をしてみたり、あるいは高性能カメラで動物に迫ったり、果ては動物にしゃべらせてみたり。
そんな流れの中にあってこの作品は、いわゆるドキュメンタリーの形態を崩していない。まずこの作品が持つのは観客にとって未知の世界についての事実を伝えるという意味だ。これはドキュメンタリーの本来的な役割であり、映画がその初期から行ってきたことである。その意味でこれは非常にオーソドックスなドキュメンタリーである。そして、そのようなドキュメンタリーを支えるのは未知のものを写した美しい映像であり、既知の物との明確な違いである。
この作品の映像は非常に美しい。抜けるような青空と遊牧民たちの色とりどりの衣装、白いゲル、毛をふさふさと生やしたらくだ。それらは私たちの生活からはかけ離れたところにあるものだ。他のドキュメンタリー番組で見たりはしたことがあるかもしれないけれど、実際に触れた人はほとんどいない、そのような映像である。それを観ているだけで私たちの好奇心は満たされ、映画として成立する。
しかし、この作品はただそのようにして淡々と遊牧民たちの姿を映し出すだけではない。子供に乳を与えない母らくだという主人公を与え、そのらくだの親子を遊牧民たちがどうするかということをひとつの物語にするのだ。
これが物語である以上、そこにはいくらかの演出が入り込む。あくまでも劇映画ではなくドキュメンタリーであり、セリフなどの指導をしているわけではないだろうが、よりよい映像を撮るために事前に被写体となる人たちと相談し、段取りを把握してから撮影に望んだシーンも多いことだろう。そのことは兄弟が都会に尋ねて言ったとき、その家で応対するおばさんの化粧が妙に濃いことなどから推察できる。
もちろんドキュメンタリーにおいても演出というのは不可避なものだ。被写体となる人たちの直接働きかけないとしても、撮影者は事前に情報を仕入れ、カメラの位置を考え、自分が撮りたいものを撮ろうとする。それもまた演出に違いないのだ。
だから、この作品に演出が入り込んでいるからといってこれがドキュメンタリーではないとか、やらせだとかいうつもりはまったくない。ただこの作品においては、その演出がある部分で不自然さを生み出してしまっているように思えるということだ。それはおそらく、その演出されたということを隠し切れない制作者の未熟さに起因するものなのだろうと思うが、これが隠し切れないと、ドキュメンタリーとしては興ざめしてしまうことが多い。
その意味では、明確に劇映画として撮られたビャンバスレン・ダヴァーの2作目『天空の草原のナンサ』のほうが潔く、面白く見ることが出来た。