銭形平次捕物控 八人の花嫁
2006/12/17
1958年,日本,85分
- 監督
- 田坂勝彦
- 原作
- 野村胡堂
- 脚本
- 伊藤大輔
- 撮影
- 牧田行正
- 音楽
- 鈴木静一
- 出演
- 長谷川一夫
- 山本富士子
- 榎本健一
- 阿井美千子
- 八千草薫
ある日、駕籠で揺られて嫁に向かった娘が駕籠の中で殺されていた。続いて、琴を演奏中の娘も突然血を吐いて倒れる。彼女たちに共通するのは新しく建てられる竜王神社の八人娘として選ばれた小町娘たちだった。そして、殺された娘のとなりには「いろはにほへとち」と書かれた紙が…
江戸は神田の御用聞銭形平次はその事件を、御用聞仲間のお品から聞き、事件の調査に乗り出す… 長谷川一夫の人気シリーズ『銭形平次捕物控』の第13作。
この『銭形平次捕物帳』は全18作が作られた。最初の作品『銭形平次捕物控 平次八百八町』が作られたのは1949年で、この最初の作品は後にシリーズ化する大映ではなく、新東宝と新演技座で作られたものであった。それから2年後の51年、大映で『銭形平次』が作られ、これがシリーズ化される。シリーズ化されると、平次以外のキャラクターも固定され、それぞれにキャラクターならではの味わいを持たせるのが常である。この銭形平次シリーズで重要なキャラクターといえば、手下の八五郎と恋女房のお静である。しかし、そのどちらもがいろいろな役者によって演じられている。このシリーズでは、ひとりの役者にひとつの役を固定させるのではなく、様々な役者に演じさせることでバリエーションを持たせ、作品にいろいろなイメージをつけようと考えたのだろう。そして、庶民の最大の娯楽である映画の性質から、当時の人気もを積極的に活用することで、集客を図りもしたのだろうと思う。この『八人の花嫁』で八五郎を演じたエノケンはシリーズ第8作の『どくろ駕籠』でも八五郎を演じている。このエノケンの八五郎はすごくいい。エノケンはこの『銭形平次捕物控』以外でも、『お笑い捕物帖』なんていう時代劇コメディに主演したりしてもいるくらいだから、この八五郎のキャラクターなんてお手の物というところなのではないか。ちょこまかと動き回るおどけたキャラクターはエノケンのキャラクターにピタリと来ると同時に、御用聞の手下という八五郎のキャラクターにもピタリと来るのだ。
恋女房のお静のほうは途中で高杉早苗から阿井美千子へと変わったが、徐々にキャラクターとしての重要性が薄まって行ったように思える。その代わりに山本富士子がお品というキャラクターで定着する。このお品は御用聞仲間の娘で父親の後をついで御用聞になったというキャラクター、言ってしまえば手下のようなものだが、二枚目長谷川一夫の横に美女の代表山本富士子を配するというのはいかにもという時の娯楽映画という感じがしていい。
また、この作品にはダイマル・ロケットという当時の人気漫才師が登場するが、これはやはりリアルタイムだからこそ面白いという感は否めず、今私たちがそれを見るときには今ひとつ楽しめない。「銭形平次」自体は時代を越えて愛されるヒーローだが、この作品で脇役として配された人たちは、必ずしも時代を超えない。
それは、映画が大衆娯楽の王様であった昭和30年代に数多く作られたシリーズ物に共通する欠点ではある。当時は年に2本も3本も作られるシリーズ物に観客を引き寄せ続けるために手を変え品を変え時代の寵児が登場した。この『銭形平次捕物控』シリーズには美空ひばりが2度も登場していることからもその事はわかる。それはそれで当時の観客は喜んだのだろうが、何十年もたって見ると、内容が薄められ、その作品の持つ力(この作品で言えば長谷川一夫という銭形平次の魅力)がそがれてしまっているように感じられるのだ。それはこういったシリーズの作品のほとんどがいわゆる職人監督によって作られているというのも一因である。同じ監督が年に何本も作品を撮ると、どうしても作品同士が似通ってしまうのだ。
しかし、それはそれでいいのだとも思う。この頃の映画というのは大衆の最大の娯楽であり、その大衆を満足させるために日々たくさんの映画が作られていったのだ。その中で何十年後も面白く見られる作品があれば、それはそれで素晴らしいが、そうではない作品のほうが多いのはまた当然なのだ。
それは、90年代がトレンディードラマの時代だったのと同じように、ひとつの時代を画するものであったのだ。戦前から活躍してきた長谷川一夫という名優がその波に飲まれつつひとつのヒットシリーズを生み出した。その演技は戦前のきりりとした名演技と比べれば確かになんとも安っぽく見えるかもしれない。しかし、長谷川一夫は長谷川一夫、べったりと顔を白塗りしていても、二枚目然としてカメラに向かって微笑むのだ。そこには時代を超えるスターとしての輝きがある。