隠された記憶
2007/1/11
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2005年,フランス=オーストリア=ドイツ=イタリア,119分
- 監督
- ミヒャエル・ハネケ
- 脚本
- ミヒャエル・ハネケ
- 撮影
- クリスチャン・ベルジェ
- 出演
- ダニエル・オートゥイユ
- ジュリエット・ビノシュ
- モーリス・ベニシュー
- レスター・マクドンスキ
- ダニエル・デュヴァル
- ナタリー・リシャール
- アニー・ジラルド
TVの書評番組で司会を務めるジョルジュの家の前に彼自身の家を映したビデオテープが置かれる。そして次の日にはビデオテープに子供が描いたような絵が添えられ、不信な電話もかかってきて、ジョルジュと妻のアンは不安に駆られるようになる…
奇才ミヒャエル・ハネケが作る心理サスペンス。何かが起こりそうで起こらない緊張感が際限なく持続し、静かな中に非常なスリルが存在する。
私はこのような「何かが起こりそうで起こらない」という作品は好きだ。何かが起こりそうな兆しは存在するのに、実際には何が起こるわけではない。そこには非常な緊張感が存在し、様々な憶測があたまを去来する。その緊張感と思索のによって集中力は増し、画面の隅々まで目を凝らしてみてしまう。その緊迫感がすごく好きなのだ。
その点についてこの映画は満点をあげてもいいくらいのできである。突然家の前に置かれた1本のビデオテープ、そこに映っているのはその家をほぼ正面から撮っただけの映像、そこにはただ人の出入りが映っているだけで、何か秘密があるわけではない。しかし、そこからは「お前を監視している」というシンプルなメッセージを読み取ることができる。
それだけでは気持ちが悪いだけだが、そこに子供の描いたような絵(子供の口から血のように赤いものが出ている絵)が添えられるようになり、さらに同じ絵が職場や子供の学校にも送られてくる。そしてさらにはジョルジュの生家の映像までが送られてくるあたりで、この犯人が彼を完全に捉えてしまっていることが明らかになるのだ。そして一瞬挟まれる暗がりにいる子供の映像、それらが謎を投げかけ、観客に考えさせる。
そのような謎がもたらすのは「次に何が起きるのかわからない」という緊張感だ。次に起きることをいろいろと推測しようとするが、ヒントが少ないためになかなか核心にいたることができない。そのためにヒントをつかもうと画面に集中して行くのだ。
そして、ミヒャエル・ハネケはそんな観客を背景を使って操作する。例えば、ジョルジュがコーヒーを自販機で買っているその背後で何人かの人が店に出入りする。例えばアンが友人と話しているカフェの背後で人が行き来し、後ろの席に座っている男性が一瞬アンに目をやる。その背景で生じる小さな動きからも「何かが起こりそうだ」という雰囲気が醸し出されているのだ。
そのような緊張感の作り方は本当にすごいもので、一瞬たりとも目を話すことができないまま2時間が経ったと言っていい。しかし、この結末のつけ方はどうだろうか。物語が進むにつれヒントは増え、いくつかのことは明らかになって行くが、最終的にそれが収束することはない。解釈の仕方は無数にあり、どうしてもわからない部分もある。私はこのように映画を見終わったあとも考えてしまうような映画が好きだが、そのような映画が優れているとは必ずしも思わない。
ある意味では、制作者が結論を投げ出したということであり、どこかもやもやしたものが残る。もちろん映画というのは見終わってすっきりしなければいけないものでもないし、現在のわかりやすい映画ばかりが溢れる風潮の中でこのような映画は貴重な存在ではあるけれど、このような映画が見る人を、あるいは見る時と場所も選ぶことは間違いのないことだ。
見る側にある種の責務を課すこのような映画は、見る旅に印象が変わってくるだけに、評価するのは非常に難しいが、私のようにその種の映画が好きな人にはすごく面白い作品だと思う。