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百萬両秘聞

★★★★-

2007/2/26
1927年,日本,124分

監督
マキノ省三
原作
三上於菟吉
脚本
山上伊太郎
撮影
松浦茂
出演
嵐長三郎
市川小文治
山本礼三郎
尾上松緑
松浦築枝
preview
 幽霊野という荒野にのぞむ老夫婦の家、そこに立ち寄りひとりの若侍が荒野に旅立っていった。その夜、彼らの息子も家を訪ね、若侍が幽霊野にいったということを聞いて後を追う。ふたりは古塚に隠されたという百万両の隠し場所を記した絵図を探していたのだ…
  嵐寛寿郎が嵐長三郎時代に出演したマキノ省三監督による時代劇サスペンス。昭和2年のこの作品がほぼ完全な形で残っていることだけでも奇跡的であり、それだけでも見る価値がある。
review

 マキノ省三は映画について常々「一スジ、二ヌケ、三ドウサ」と言っていたという。これはつまり、映画は一にスジ(脚本)、二にヌケ(映像)、三に動作(役者)が重要だということであり、まずストーリーがおもしろく、次に映像がキレイで、最後に役者の縁起がよければいい映画が作れるという彼なりの哲学であった。その哲学がゆえにマキノ省三は脚本家を厚遇し、大事にした。この作品の脚本家である山上伊太郎は省三が最後にひいきにした脚本家と言っていい。その前には寿々喜多呂九平や三村伸太郎がいたが、晩年の彼の作品は山上伊太郎が多く脚本を書いている。
  そして、この作品は確かにプロットが素晴らしい。物語は荒野に望む老夫婦の家に始まり、そこにひとりの若侍と夫婦の息子が順に訪れる。そして、その荒野の只中にある古塚に“百万両”の隠し場所を書いた絵図があるというのだ。しかし、その若侍・春水主税(嵐長三郎)が掘り出したものは一首の短歌に過ぎなかった。主税はその短歌の謎を解こうとし、その事情を知らない夫婦の息子である通り魔の半次(市川小文治)は彼が百万両のありかを知ったに違いないとして彼を追う。そして半次はお上にも追われ、親分を頼んで行くのだ。ここまでですでに謎解きとおっかけっこという、観客が次の展開に胸を躍らせる要素が出揃っている。
  そして、それにさらに“女”を加える。嵐長三郎というスターがいるがゆえに、彼を絶世の美男という設定にし、そこにふたりの女を登場させるのだ。ふたりの男の思惑に、ふたりの女の思惑が絡み、物語はより複雑に、そしてよりおもしろくなっていく。
  マキノ雅広は後年この山上伊太郎を評してサイレント時代はいいホンを書いていたといった。彼いわく山上伊太郎はトーキーにはロマンティックすぎるというのだ。その言葉について考えながら、この作品を振り返って観ると、サイレントとトーキーの脚本の違いというのが多少見えてくる。まずサイレントの脚本はわかりや少なければならない。トーキー映画は言葉によって状況や物語を説明できるが、サイレント映画ではそれを基本的には映像と文字で説明しなければならない。活弁が入ることが前提となってはいるが、それでもやはり、どうしても説明しなければならない部分はインタータイトルとして文字で入れなければならず、しかもあまり文字が多いと映画の展開の邪魔をしてしまうため、極力少なくしなければならない。だから、なるべく物語はわかりやすく、出来れば映像を見ているだけで何が起こっているのかがわかるように組み立てるのが理想的ということになる。山上伊太郎の脚本はこのわかりやすさを備えている。わかりやすい物はその多くがワンパターンというか、ひとつの型にはまりやすい。マキノ雅広はそれを称して“ロマンティック”と読んだのだろう。トーキー時代になると、脚本はわかりやすさよりも観客を驚かすような展開を求めるようになる。山上伊太郎は結局その流れについていけず、トーキーの時代にはあまりいい脚本が書けなくなってしまったのだ。
  しかし、この作品はサイレントであり、普通に観ているとこの脚本は素晴らしいし、トーキーだったら面白くないとも思われない。トーキーとサイレントでは観客の映画の見方も必然的に変わってきてしまうものらしい。特に日本のサイレント映画は活動弁士がつくことが前提となっているので、外国のサイレント映画ともまた違う。外国のサイレント映画は映像と文字で全てを説明しようとし、特にほとんど全てを映像で表現しようとする。だからほとんどセリフはなく、動きや表情による独特の文法が生まれた。しかし日本のサイレントでは活弁士がセリフをしゃべるから、口だけを動かしているという映像が多く出てくる。重要なセリフは文字で説明されるが、ほとんどのセリフは活弁士がしゃべるのだ。この作品はそんなにほんのサイレント映画に非常にマッチした作品である。もちろん活弁士のよしあしによって映画のおもしろさが変わってきてしまうという問題はあるが、私が見た澤登翠による活弁版はおもしろかった。活弁を吹き込んだのが最近であるため、録音の状況が悪くなかなかセリフが聞き取りにくい初期のトーキー映画よりむしろわかりやすかったのではないかとも思う。

 というように、この作品ではサイレント独特のホンのおもしろさが十分に楽しめ、マキノ省三いうところの「一スジ」は見事にクリアしているといえる。
  しかし、二ヌケのほうはどうか。照明やカメラの質の問題があり、もちろん現在とは撮影状況がまったく違うが、今から見ると映像のほうは少々つらい。なんと言っても夜の表現がうまくない。当時のカメラだと、ちゃんと被写体を「ヌク」には相当の光量を必要とし、夜の場面でも役者にライトを当てないと顔が映らなかったという事情はわかる。しかし、この作品では夜と説明されるシーンも昼と説明されるシーンもほとんど違いがわからない。言ってしまえば夜と昼の違いは夜と説明されるかそれとも昼と説明されるかの違いでしかないのだ。夜らしい映像が取れないのなら何か別の形で夜を表現すればよかったのではないかと思う。

 三ドウサのほうはなんと言ってもスター嵐長三郎がいる。あごが長いが確かに美男子、そして立ち回りも最高だ。彼はまもなくマキノを脱退し、嵐寛寿郎と名乗って押しも押されもせぬスターになるが、この頃からすでにスターの風格が漂っていた。
  そんな嵐寛にどうしても注目が集まるが、私は通り魔の半次を演じた市川小文治という役者が非常にいいと思った。美男子ではないが阪妻を髣髴とさせるようないい表情をしている。彼は東亜・マキノ・千恵蔵プロ・日活を渡り歩いた名脇役だった。
  省三がいくら「一スジ、二ヌケ、三ドウサ」と言っても映画は脚本化だけで作れるものではない。脚本、カメラ、役者、演出、そして数多くの裏方、その全てがそろって初めて映画が出来る。省三はもちろんそのことを知っていたからこそ、脇役に彼のように非常にいい役者を起用したのだと思う。しかし、それでもやはりまずホンがなければいい映画は取れない、いい映像がなければおもしろい映画にはならない。そして、いい俳優がいなければ客を呼べない。演出家はそれだけそろっていれば誰でも出来ると言ってみたのだろう。
  マキノ雅広は父よりもさらに映画が多くの人間によって作られるということを重視した。プロットのよさで観客をひきつけた父とは違う作品作りを、雅広は日本にトーキーを確立して行く中で身につけた。そのため山上伊太郎のような“ロマンティック”な脚本家とは袂を分かつことになったわけだが、彼も認めているサイレント時代の山上伊太郎の本のおもしろさを十分に楽しむことが出来るのがこの作品である。

Database参照
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国別・年順: 日本50年代以前

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