ヨコハマメリー
2007/3/7
2005年,日本,92分
- 監督
- 中村高寛
- 撮影
- 中澤健介
- 山本直史
- 音楽
- コモエスタ八重樫
- 福原まり
- 出演
- 永登元次郎
- 五大路子
- 杉山義法
- 清水節子
- 団鬼六
- 山崎洋子
10年ほど前まで横浜伊勢崎町の街角にたっていたという老婆“メリーさん”。60歳を過ぎるまで現役の街娼だったという彼女を巡る伝説を出発点として、彼女にかかわった人たちへのインタビューにより彼女の人生と、戦後の横浜を検証して行くドキュメンタリー。
1995年に突然姿を消した“メリーさん”の謎を追ううちに、戦後の横浜の姿がくっきりと浮かび上がってくる。
老婆になるまで白塗りの化粧をして街娼として町に立ち続けたという“メリーさん”、当時伊勢崎町に行っていた人なら誰もが一度は見たことがあるというメリーさんには様々な伝説が存在し、1995年に忽然と姿を消したメリーさんとは一体何者だったのか、作者はそれを明らかにするために彼女とかかわった人々へのインタビューを始める。
まずは、メリーさんと親しくしていたこともあるという元男娼のシャンソン歌手永登元次郎、この物語のもう一人の主役ともいえる彼はメリーさんをリサイタルに招待し、そこにプレゼントを持ってやってきてくれたメリーさんに感銘を受けたという。女優の五大路子はメリーさんを題材にした「横浜ローザ」という一人芝居を演じている。その中で浮かび上がってくるのが、横須賀から横浜に移ったメリーさんがいつも立っていたという“根岸屋”という酒場である。GIと洋パンの溜まり場になっていたというこの酒場の元芸者や、元常連がその根岸屋について語り、作者は今は駐車場となってるその跡地に立って、とうじ根岸屋がどのようであったかということを浮かび上がらせて見せる。
メリーさんの物語とは直接的には関係のないこの根岸屋に関する詳しいエピソードは、この作品がメリーさんという題材を通して戦後の横浜の姿を描き出そうとしているということの表れだ。メリーさんというのは伊勢崎町にとっていわば戦後の残像であり、その残像の元をたどればそこには必ず戦後の横浜の姿が浮かび、その中心には根岸屋があったという仕組みである。
この辺りは、戦後史をたどる試みとして面白いし、じっくり見ていけば、それが人と人との関わりあい方の物語であるということもわかる。ごちゃごちゃとした戦後の社会の中で通り過ぎるだけの米兵たちとそこにい続ける横浜の人々の間にどのような関係が結ばれ、日本人の間にどのような関係が生まれたのか、孤高を通したメリーさんだけが最後まで横浜に立ち続けることになったのはなぜなのか、そんなことを考えると、なかなか面白い。
映画の終盤は再びメリーさん個人に戻り、メリーさんは一体どこに行ったのかという謎に迫って行く。家を持たず、しかしまわりの人たちの好意に支えられGIビルというビルの椅子で寝起きし、宝飾店の前のベンチにたたずみ、喫茶店に専用のカップを持っていたメリーさん、その彼女が消えたのも人々の好意の賜物だった。
この作品の終盤には温かみが溢れている。終戦から60年以上がたち、人の温かみは薄れたけれど、メリーさんをめぐる物語にはいまも温かみがあった。その意味でもメリーさんは戦後の残像なのであり、変わり行く日本の姿を映す鏡なのだ。五大路子がメリーさんの扮装をして今の伊勢崎町を歩くとき、今の人々はそれをどう受け止めるのか、それをあえてやったこの作者には明らかに現代と戦後を対比してみようという意図があったはずだ。
この作品は映画として何か新しさや面白さがあるかというと微妙ではあるが、一つのドキュメントとしてはなかなか面白い。これは物語ではなくレポートであり、映画ではなくドキュメントなのだ。