ジャズ・シンガー
2007/3/9
The Jazz Singer
1927年,アメリカ,89分
- 監督
- アラン・クロスランド
- 脚本
- アルフレッド・A・コーン
- 撮影
- ハル・モア
- 音楽
- ルイス・シルヴァース
- 出演
- アル・ジョルスン
- メイ・マカヴォイ
- ワーナー・オーランド
- ユージニー・ベッセラー
- オットー・レデラー
ニューヨークのユダヤ司祭長の息子のジェイキーは街の酒場で歌っているところを見つかり、父親に折檻されて家出をしてしまう。数年後、ジェイキーはジャック・ロビンと名乗り、地方でジャズ歌手として歌っているところをミュージカル女優のメアリーに見出される。そして数年後、ついにブロードウェイの舞台に立つ機会を得る。
この作品は音楽を映像にシンクロさせるヴァイタフォンを利用してワーナーが制作した2本目の作品(1本目は短編の『ドン・ファン』)で、歌の合間にアル・ジョンソンがセリフをしゃべったことで世界初のトーキー映画となった。ちなみに、この作品の原作は主人公を演じるアル・ジョルスン自身をモデルとして作られている。
この作品は、世界初のトーキー映画としてなんと言っても有名だ。映画を見て見ると、歌のシーンだけが映像と音がシンクロしており、他のシーンはまったくサイレント映画の体裁を取っている。この映画で使われたヴァイタフォンはレコード盤に録音した音と映像をシンクロさせる装置である。基本的には、映像と音は別録と考えられるが、この作品を見ると、映像と音の一致は見事で(指笛の部分を除く)、同録ではないかという気もしてしまう。まあ、同録かどうかはとにかくとして、現在のようにフィルム上に音声が乗っているサウンドトラックではなく、フィルムと別に音声用のレコードがあったわけである。しかも、そのレコードの磨耗が激しく、20回程度しか再生できなかったため、全編をトーキーにするのは事実上不可能だった。
そのような困難の中生まれたトーキー映画は話題を呼び、多くの観客を呼び寄せたし、今見てもトーキーの部分に違和感は感じられない。80年前のトーキー映画が生まれた瞬間の感動を今体験することはできないけれど、この瞬間が今に続くトーキー映画の歴史の第一歩であるというのは感慨深い(なんと言ってもサイレント映画の歴史はわずか30年あまりで終わり、トーキー映画の歴史は80年以上になるのだ)。
しかし映画として見ると今ひとつといわざるを得ない。旧来の風習に反発して家を出て、独力で成功する少年というプロットも陳腐だし、それぞれの人物の描き方もステレオタイプに過ぎる。序盤の移動撮影のスピード感などはなかなかのものとは思ったけれど、それ以降は映像的にも特に工夫があるわけでもなく、この作品が当時のサイレント映画が到達した表現のトップレベルに位置するなどということは決してない。
それでも、一人の青年が時代の変化に引き裂かれ、自分の成功と家族の間で引き裂かれるそのメロドラマ的な感動はそれなりに表現できていると思う。ただ、その引き裂かれ方があまりにステレオタイプすぎ、母親にもメアリにも同調できず、ジェイキーがかわいそうになるばかりなのが、なんとも切なかった。
この作品によって映画の歴史はトーキー映画という領域に入ったわけだが、映画の進歩が必ずしも映画の“内容”の進歩と同調するわけではないということを端的に示す映画でもある。これより10年以上前に撮られたサイレント映画がこの映画よりも内容的に優れていることはまったく珍しくないし、それが現在の作品よりも内容的に優れていることもまったく珍しくないのだ。
映画というのは新しい技術によって何度も飛躍的な進歩を遂げてきた。その新奇な技術はその時の観客を捕らえはするが、長く見続けられるのはそのような新奇な作品よりも、内容的に優れた作品なのだ。
この作品を見る価値はもちろんある。しかし、他に見るべき作品もいくらでもある。