西瓜
2007/3/13
天邊一朶雲
2005年,台湾,112分
- 監督
- ツァイ・ミリャン
- 脚本
- ツァイ・ミリャン
- 撮影
- リャオ・ペンロン
- 出演
- チェン・シャンチー
- リー・カンション
- ルー・イーチン
- ヤン・クイメイ
- 夜桜すもも
猛暑で、極度の水不足に襲われた台湾、アパートの一室で西瓜をまたに挟んだ女とセックスをした男はシャワーを浴びようとするが水が出ない。アパートでただただ呆然と過ごす女は爆発的に売れているという西瓜ジュースを飲みながら、スーツケースを開けようとするが開かず、物置の鍵を窓から投げ捨ててしまう。
ほとんどセリフを廃し、言葉にならない男女の感情を行為によって描き、そこにミュージカル的なシーンも織り込んだ意欲作。台湾で年間興業収入1位に輝き、ベルリンでは銀熊賞を受賞した。
ツァイ・ミンリャンは初期の頃から奇抜な描写を使ってきた。この作品でも登場人物がまったく異なる設定(時には動物に扮して、時には女装&男装)で踊りながら歌うミュージカルシーンを挟み込むという奇抜なアイデアを使っている。
それに対して、地の部分はほとんどセリフがなく(男のほうはまったくセリフがないので途中までしゃべれない設定なのかと思った)、行動や表情から登場人物の考えを推察するしかない。
そして、もう一つのテーマはセックスである。最初のシーンで西瓜をまたに挟んだ男とセックスしている男が主人公のひとりなわけだが、この男がいわゆるAV男優である。そしてこの男は以前腕時計売りをしていたらしく、その時に主人公の女と知り合っていたというわけだ。そのふたりが、恋に落ちるわけだが、男がAV男優であり、それを相手に隠していることによって複雑な関係と感情が生まれる。
そして、作品の前半では露骨なセックス描写にほとんどエロティシズムが感じられないのに対して、女の足にタバコを挟んでそれを吸うというだけのシーンにエロティシズムを感じさせるという対比が存在し、そこに作品としての“味わい”を感じることができる。そして、パンフォーカスや長回しを使い、遮蔽物や中心のずらしによってアンバランスに構成した画面を用いることで独特の映像を作り上げてもいて、それなりに見ることが出来る。
ただ、この段階でもすでに単調で退屈だったこの作品は、後半にそれを加速する。ふたりの関係においてセックスの存在が大きくなり、しかし男の中の何かがそれを食い止めるという展開の中で、ふりの間にあったエロティシズムは消えてしまう。女はまだ男にエロティシズムを感じ、欲望を感じているということはわかるのだが、その描写が前半でエロティシズムの彼岸にあった露骨なセックスと変わらないものになってしまうことでその魅力は霧消してしまう。
ラストの意識を失ったAV女優との長いセックス・シーンに果たして何を読み取ればいいのか、何かを考えるにしても長すぎるこの空虚な時間を内省的に過ごすには、この作品には言葉が少なすぎる。少し奇抜なだけで決して目新しくも突飛でもないこのような作品で、観客を何かの考えに導くというのは非常に難しいことではないか。そして、何かを考えなければ、この作品の112分という時間を過ごすことは出来ず、結局ただただ退屈な時間が流れるのだ。
台湾で興行収入1位となった理由は過激な性描写によるものだ。何をよしとして何を規制にするのかという審査の基準に論議を巻き起こしたことによって、その実を見ようという観客を呼んだのだろう。それはどこの国でも起きる現象だ。
ベルリンでは思わせぶりな展開と、画面作りが評価されたのだろう。工夫を凝らした静謐な画面と、ミュージカル部分の色とりどりの画面の対比には確かに訴えるものがある。賞を獲るほどのものではないと思うが…