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71フラグメンツ

★★★.5-

2007/4/16
71 Fragmente Einer Chronologie des Zufalls
1994年,オーストリア=ドイツ,95分

監督
ミヒャエル・ハネケ
脚本
ミヒャエル・ハネケ
撮影
クリスチャン・ベルジェ
出演
ガブリエル・コスミン・ウルデス
ルーカス・ミコ
オットー・グルーマンドル
アンヌ・ベネント
ウド・ザメル
preview
 銀行で3人を射殺し、直後に自分も自殺したという青年についてのキャプションの後、内戦や難民のニュースが続き、さらに人々の日常生活が映し出される。トラックの荷台に載って移動するホームレスの少年、妻と赤ん坊を抱える警備会社の男性、年金を受け取りに並ぶ老人の列…
  何人かの人物の生活を断片により構成し、それらを不連続に並べた作品。断片で構成されて入るが散漫な印象にはならず、現実を見事に切り取っている感じがする。
review

 ミヒャエル・ハネケの作品にいつもあるじりじりする感じ、それがこの作品にもある。実際の事件をモチーフしたものでもあり、内戦や難民のニュースを繰り返し挿入しているところから社会的な主張を持った作品のようにも見えるが、ハネケの真意はそこにはないだろう。ハネケが着目するのは、そのような事件を起こした背景であり、決して明らかにならない動機を想像することである。
  実際の事件を映画などの作品にする場合、基本的な手法は綿密な調査を通して加害者や被害者の現実に迫るというモノだが、ハネケはそうはしない。彼は想像力の翼を広げて加害者や被害者の内面に迫り、そこからひとつの物語を紡ぎだして行く。その時、その物語は事実とはかけ離れているかもしれないが、それは現実に起こりうる、あるいは起こったかもしれないものと感じられる。つまり、その物語は現実よりもリアルな、より現実らしいものとなるのだ。
  そして、そのように想像力の翼を自由に広げるためにこの作品のようにいわゆる「迷宮入り」の解明しようのない事件を選ぶ。この事件も犯人が直後に自殺したことによって動機が解明される可能性はなく、事件を解釈することは困難を極める。だからこそハネケの想像力は自由に広がり、ありうべき事件を作り上げることができるのだ。

 そしてこの作品でハネケが描き出したのは、すべての人々の心を覆う雲である。ホームレスの少年、警備会社の男性、養子を取ろうとする夫婦、銀行に勤める女性、その父親、大学生の青年、その友人、そのすべての人々の心はどんよりと暗い雲で覆われている。世界は決して光に溢れてはおらず、重苦しさを常に感じているのだ。
  それを“ストレス”と言い換えることもできる。ホームレスの少年の生活は生きて行くための戦いであり、警備会社の男性は赤ん坊を抱えた妻との関係がストレスになっている。銀行に勤める女性とその父親の関係もお互いのストレスになっている。そのストレスが彼らの生活に重苦しい空気をもたらしているのだ。
  そして、その“ストレス”は個人ではなく社会にも重くのしかかっている。それを示すのがニュースである。この作品に挿入されるニュースはソマリアの内戦やIRAのテロ、ユーゴスラビアの内戦といった戦争関係のニュースばかりである。ただ一つ戦争とは関係ないマイケル・ジャクソンのニュースも児童虐待疑惑という現実の暗部を示すものである。これらの事件は私たちの生きる世界に重苦しい雲を立ち込めさせ、社会全体にストレスをかける。人々は個人個人がストレスを感じると同時に、社会全体にかかるストレスにも苦しめられるのだ。
  それがこの事件の背後にあるのだ。

 しかし、ハネケは決してシニシズムに徹するわけではない。そのような現実の中にもかすかな希望を託すことは忘れない。ストレスを掛け合う関係である警備会社の男性と妻の関係はただの冷めた関係ではない。ストレスの中で彼らは互いを労わり、愛し、何とかしようと考えているのだ。それは銀行に勤める女性とその父親の関係においても同じだし、養子を取ろうとする夫婦にも愛がある。
  人々はストレスに押しつぶされ、悲劇に苦しめられても必ず立ち上がる。苦しさの中にも愛を見出し、何とかそれを克服して友愛と和解を目指そうとするのだ。
  最後にあえて繰り返されるサラエボのニュースとマイケル・ジャクソンのニュース、そこから読み取るべきなのは皮肉ではないのだ。

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: <オーストリー

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