ラッキーナンバー7
2007/6/3
Lucky Number Slevin
2006年,アメリカ,111分
- 監督
- ポール・マクギガン
- 脚本
- ジェイソン・スマイロヴィック
- 撮影
- ピーター・ソーヴァ
- 音楽
- J・ラルフ
- 出演
- ジョシュ・ハートネット
- ブルース・ウィリス
- ルーシー・リュー
- モーガン・フリーマン
- ベン・キングスレー
- スタンリー・トゥッチ
ある空港では、一人の若者が車椅子の男に殺される。ニューヨークのアパートのとある部屋を訪ねた向かいに住むリンジーは、そこで住人のニックの友人というスレヴンと知り合う。スレヴンは仕事をクビになり、恋人の浮気を目撃してしまい、友人ニックを頼ってニューヨークへやって来たのだという。リンジーと別れたスレヴンのところに今度はギャングのふたり組が現れ、スレヴンはニックと間違われて“ボス”のところに連れて行かれる…
人違いからギャングの抗争に巻き込まれていく若者を描いた軽快なクライム・サスペンス。個性的なキャストが集まっているのがいい。
この物語は人違いから始まる。実際はその前にスレヴンとリンジーの出会いがあり、それはこの映画の(サブプロットとして必ず恋愛が語られるという)ハリウッド的な展開にとっては重要なものだし、面白い場面でもあるのだが、主たる物語が始まるのは人違いからである。
ギャング(しかも2つ)が彼を住人で彼の友人のニックと取り違え、莫大な借金の方に殺人をやれと迫り、彼はそれにしたがわざるを得ない事態になってしまう。これは“ボス”が劇中で言及しているように『北北西に進路をとれ』に代表される“人違いもの”に典型的な展開の仕方である。
“人違いもの”は主人公がまったく未知の状況に置かれるため、周囲で何が起こっているかを把握できなくなってしまう。そして、観客もその主人公の視点に立たせることで、その混乱した状況に置かれる。2つのギャング組織、謎の男スミス、行方知れずのニック、不思議な隣人リンジー、スレヴンの不意をついて現れたそれらの状況は彼を引きずりまわし、観客を撹乱し、めくるめく展開で目をくらませるのだ。
見終わって振り返って見ると、そのからくりは明確なのだけれど、“人違いもの”のような巻き込まれがたのサスペンスでは、小さな事件を矢継ぎ早に繰り出すことで観客がその細部に心を奪われ、全体を見渡せないように仕向ける。かくして近視眼的になってしまった観客はまんまと騙されてそっと出されるヒントに頭を悩ませながら、作品世界に引き込まれて行くのだ。
この作品は、そのような点で巻き込まれがたのサスペンスとして良質なものといえる。最後まで目を離させず、最後まで全体を見渡させず、見終わってみれば全てがすっきりと収まる。最後にすっきりと収まるということは、そこで制作者の意図が完全にわかってしまうということだから、一回こっきりの楽しみということになるが、2時間という時間をガーっと楽しむことが出来ればそれで十分だし、サスペンス好きの人なら、最後に明らかになった仕掛けを検証する意味でもう1度くらいは見返すかもしれない。
とにかくスカッとしたいというときにはいい作品ではないかと思う。
さて、この映画を見始めて、映画が始まる前にはっと思ったのは、カンパニー・クレジットが見覚えのない会社ばかりだということだった。最初に出てきたのはHapinetという配給会社、これは『フラガール』をヒットさせたバンダイグループの配給会社だが、製作にFilmEngineとAscendantというあまり聞かない会社が並んでいた。考えてみれば、監督のポール・マクギガンはスコットランド出身であり、もともとハリウッドメジャーとして作られた作品ではないのかもしれない。かといってインディペンデントというわけでもないし製作費も安くないと思うのだが、どんなからくりがあるのか。
ポール・マクギガンはハリウッドでどんどんメジャーになって行く監督だと思うが、そこにはいろいろな思惑が動いているのかもしれない。