淑女は何を忘れたか
2007/6/14
1937年,日本,72分
- 監督
- 小津安二郎
- 脚本
- 伏見晁
- ゼームス・槇
- 撮影
- 茂原英雄
- 厚田雄春
- 音楽
- 伊藤宣二
- 出演
- 栗島すみ子
- 斎藤達雄
- 桑野通子
- 佐野周二
- 飯田蝶子
- 坂本武
- 突貫小僧
- 上原謙
裕福な夫人3人が井戸端会議に花を咲かせる。そのうちのひとり時子の夫はドクトルと大学の先生、そのうちに大阪から姪の節子が遊びに来る。夫を尻にしく時子は夫の助手を友達の息子の家庭教師に強引に据え、週末には毎週のゴルフ行きを渋る夫を無理やりに追い出す…
オズのトーキー第2作はハリウッド風のコメディで、初期の小津の軽妙さを持ちながら、戦後の小津を思わせるテーマ性も持っている。
1921年に『虞美人草』でデビューし、松竹蒲田を支えた往年のスター栗島すみ子は1936年の松竹大船移転に伴い映画界を引退した。しかし、小津の大船第一作となるこの作品には小津に請われて特別に出演、栗島すみ子唯一の大船作品となった。
松竹の大船移転は映画史の1ページとして語られることが多い。しかし実際のところ蒲田から大船へ撮影所が移っただけのことで、映画会社自体は変わっていないのだから、それほど騒ぐことはないようにも思える。だが、この松竹の蒲田から大船への移転というのは時代を画す一つの事件であったのだ。
郊外の広々としたスタジオへ移った松竹の映画人たちは小津を中心に「大船調」と呼ばれるある種牧歌的な映画を作るようになった。この「大船調」が注目を浴びるようになるのはあくまでも戦後のことであり、この作品などは「大船調」というよりは「蒲田調」とでも言ったほうがよさそうなハリウッド的なソフィスティケイティッド・コメディなわけだが、栗島すみ子の引退も含め、日本映画界はこの松竹の大船移転から大きく変化し始めたのかもしれない。
さて、作品のほうは小津らしい控えめなコメディである。小津の蒲田時代の作品には失われたものも多く、その全貌は必ずしもはっきりとはしないが、残された作品からは彼の喜劇を好む性質がよく表れているように思える。小津はメロドラマよりコメディを好み、平凡な日常の中にある笑いを愛したようにも思えるのだ。最初の頃は大学生や若い会社員を主人公にした作品を作り、徐々にその舞台を家庭へと移しながら、しかし同じように平凡さの中にある明るさを描く、それがサイレント期の小津の終始一貫したスタイルであった。
そしてそれはトーキーとなり、巨匠となってもあまり変わっていないように私には思える。戦後の作品などはコメディという感じは失われているように見えるが、その底流にあるのは平凡さの中にある明るさであり、決して成瀬のように暗さを前面に押し出すようなことはしない。
そしてこの作品にも暗さは微塵もない。大阪からやってきた姪の節子の行動にはどこか裏がありそうだと感じられなくもないが、単純に解放された若者の無軌道さと考えることも出来そうだ。肝心の夫婦関係のほうも紆余曲折はあるが、切羽詰ったことにはならない。家族のあり方を中心的なテーマとするようになった小津はいろいろなバリエーションを描きながら、そこに人々が共感できる平凡さを描きこんで言った。
そして、この作品で注目したいのは夫婦の力関係である。小津の作品には父親の存在が大きいものが多く、母/妻の存在というのはあまり重視されないように思える。それはある意味ではマチスモ的でもあるのだが、一方でやもめになった父親には常に支えを失った男の情けなさも感じられる。つまりそれは立てられる夫と夫を立てるふりをしながら実際は実験を握っている妻の姿である。
この作品では逆に尻に敷かれる夫が描かれる。しかし、これもまた夫婦のあり方のひとつであり、最後まで見れば基本的な構造は変わらないということがわかる。時代性もあり、今から見れば少々乱暴で共感できない部分もあるが、本質的な部分は変わらないと思う。
名作とはいえない小品だが、なんだか面白いし、いろいろなことを考える材料としても興味深いものがある作品だ。