ブリッジ
2007/6/15
The Bridge
2006年,アメリカ,93分
- 監督
- エリック・スティール
- 撮影
- ピーター・マッキャンドレス
- 音楽
- アレックス・ヘッフェス
- 出演
- ドキュメンタリー
サンフランシスコのゴールデンゲート・ブリッジ、全長2790m、毎年900万人の観光客が訪れるこの橋は実は自殺の名所でもあり、ここから飛び降りて自殺を図ろうとする人々は地元では「ジャンパーズ」と呼ばれる。
『アンジェラの灰』などのプロデューサとして知られるエリック・スティールはニューヨーカー誌に掲載されたこの「ジャンパーズ」に関する記事に衝撃を受け、1年にわたってこの橋を撮り続けた。
作品は橋で起きる出来事と、自殺者の家族や友人へのインタビューで構成される。重苦しいが考えさせられる。
この作品のほとんどを占めるのはインタビューだ。そしてそのほとんどは自殺した人の友人や家族で、生前の彼/彼女がいかに追い込まれていたかについて語る。彼/彼女らは漏れなく精神的に追い込まれており、あるいは完全な精神病で、友人や家族もその自殺をどこかで予期していたというものが多い。それでも、その死は彼らに何らかの重みを背負わせる。自分がこうしていれば救えたのではないかという罪悪感を少なからず背負い込んでしまうのだ。
これはこの映画のひとつのテーマでもあると思う。自殺という行為は自殺する者にとっては自己完結的なものだが、実際のところその効果は計り知れない。自殺者を知る人々はその死からさまざまなものを受け取る。彼らは非常に身近なものとして死を感じ取り、そこから考え始めるのだ。
それがこの作品のベースとなる。映画を見る観客も、同じように死を身近に感じ取り、そこから何かを考える。それをこの映画はやろうとしているのだ。
しかし、そのような中で、引っかかることも色々と出てくる。
たとえば、自殺者の中でも一番時間を割かれ、主人公といってもいいジーンの場合は、あまりに何度も自殺をほのめかしていたために、その言葉に真実味がなくなっていた。そのため友人たちは彼の自殺が意外だったとも語るのだ。そして、彼の友人の妻は彼の死を悼むというよりは生前の彼の行動を非難がましく語るばかりで、その死から何かを受け取っているようには見えない。それを見て思うのは、その原因は彼女とジーンの関係、あるいはジーンの生前の行動にあるのではなく、そもそも彼女には死に対する感受性がないからだということだ。
自殺する人々にどこかで感応してしまう人は、彼女のような人物を理解できないし、理解したいとも思わないわけだが、世の中にはそのような人も多い。自殺に対しては誰もがその原因を探ろうとし、多くはその原因の一つに自分を含めてしまうのだけれど、こういう人は決してそんなことはなく、死ぬ側にその原因を完全に背負わせる。
別にそれが悪いと言っているわけではないし、この作品自体も自殺をどう捉えるかについての価値判断は行っていない。しかし、彼女の感受性のなさと想像力の貧困は見ていてなんともいやな気分になる。
この作品には自殺した人の知り合いばかりではなく、自殺を試みた当の本人も登場する。飛んだ瞬間に「死にたくない」と思ったという青年ケヴィンは死に対する考え方を淡々と語る。そして、その父のインタビューにも時間が割かれているのだが、彼と彼の父親のインタビューの間にはズレ、行き違い、不理解が存在し、それは意見の相違というよりは矛盾とも行っていいようなものになっている。そして、これはケヴィンのような青年が自殺するひとつの構造を示唆しているかもしれない。彼の父親はジーンの友人の妻と同じ人種だ。死に対する感受性を持ち合わせず、息子の苦悩を理解できない。息子の苦しみを想像することが出来ず、自分に何らかの原因があるだろうという思いに及ぶことは決してない。それは自殺がおきようと起きまいとそれだけで悲劇である。
作品の中で何度か映る実際の自殺のシーン、そこには死が待っているとわかっているし、実際に死体が引き上げられ(ているように見え)るシーンもあるのだが、飛び込むこと自体は気持ちよさそうにすら感じられる。ケヴィンは飛んでから水面につくまで5から7秒と語るが、その5~7秒という時間は彼らにとって解放された瞬間なのではないか。それまで身を縛ってきた呪縛を解き放つ数秒間、しかも落ちるのは硬い地面ではなく柔らかな水面である。自殺願望がなくとも、自殺者がこの橋を選ぶ理由はわかるような気がする。
ダニエル・スティールは防止策をつける運動に携わっているというが、この橋に自殺防止柵をつけることに意味はあるのだろうか。自殺者は別の場所を見つけて、そこから飛び降りるだけなのではないか。むしろ、自殺自体をやめさせる方法を考えるべきなのではないかと思う。中には止めてほしいという人もいるだろう(映画の中にも一人出てきた)、そのような人も含めて、自殺しそうな人がいたらすぐに食い止められるような体制を作ることのほうが重要なのではないかという気がする。
この映画はいかに自殺を止めるかということについての映画ではないから、このような結論で終わるのは少し居心地が悪いが、様々な視点のひとつとして制作者ダニエル・スティールの視点があるのなら、このような観点から見ることも必要だろう。