更新情報
上映中作品
もっと見る
データベース
 
現在の特集
サイト内検索
メルマガ登録・解除
 
関連商品
ベストセラー

殯の森

★★.5--

2007/6/22
2007年,日本,97分

監督
河瀬直美
脚本
河瀬直美
撮影
中野英世
音楽
茂野雅道
出演
うだしげき
尾野真千子
渡辺真紀子
ますだかなこ
斉藤陽一郎
preview
 グループホームに勤めることになった真千子は、そこで暮らす軽度の認知症のしげきに出会う。しげきは33年前に亡くなった妻の真子への想いを抱えたまますごしていたが、真千子の胸にも切実な思いがあった…
  河瀬直美が、こだわり続ける地元ならでじっくりと描いた人間ドラマ。美しい自然の風景と人間描写が緻密。2007年のカンヌ映画祭でグランプリ(第2席)を受賞した。
review

 映画というのは時にアンバランスさを露呈することがある。この作品は河瀬直美がこだわる地元ならの雄大な自然のショットから始まる。青々とした畑と木が生い茂る山、そこを葬列が通るのだが、自然があまりに雄大すぎてその大きさがつかめず、そのためそれが葬列だとはなかなか気づかない。雄大な自然もスクリーンという狭苦しい平面に押し込まれてしまうと、そのダイナミックさを奪われてしまうのだ。そして、次のシーンは一転、職人的な手さばきで作業をする人の手のアップである。ここでは普段は見えない節くれだった手の細部までがくっきりと見える。
  カメラは世の中にあるさまざまなものをスクリーンという限定された平面にさまざまな大きさで映し出す。そのとき明確な比較の対象が一緒に移っていないと、人間の近くは混乱し、映っているものを正確に捉えられなくなってしまうのだ。それは映画が持つ奥行きのなさ、空間的な広がりのなさという根本的な制限に由来している。多くの映画はさまざまな技巧によって人間の脳に働きかけ、その制限を乗り越えようとするのだが、この作品はそのことをまったくしようとしない。
  それがなぜなのかはわからないが、その効果にはいい面と悪い面の両方があるだろう。悪い面としては見る者が混乱し、主題を捉えにくくなってしまうということだ。この作品は視点が一定しない。時には真千子の主観になり、時にははるか上方から地上を見つめる目になる。そのためにどこに力点を置いてみていいのかわからなくなってしまうのだ。1本の作品に描かれた空間を一体的に捉えるには限られた視点から見つめることが必要なのだ。
  いい面としては、見る者が映画を組み立てざるを得ないために能動的に映画に向き合えるということがあげられるだろう。そしてこの作品は見る人がそのようにして自分で組み立てるための時間を与えている。自分で組み立て、空間を構築していく。その過程で様々なことを考え、理解することができる。
  おそらく制作者の意図は、見る者に考えさせることだろう。だからこそせりふを極力少なくし、誰もいない風景だけを映したショットを多くはさんでいるのだ。見る者は言葉にならない思いを読み取り、雄大な自然を眺めながら自分に立ち返って考えるのだ。

 では、そのようにして考えたときこの作品は何を語りかけてくるのだろうか。まず明らかなのは、“失われたもの”への想いである。真千子もしげきも大切な人を失い、その欠如が心の中に大きな空洞をあけているのだ。その欠如に人間はどう対処するのか。まだ失って間がない真千子は33年間もその欠如を抱え続けているしげきから何を受け取るのか。その答えは、失われてしまったものを惜しむのではなく。その空洞を空洞として愛しむことにある。しげきさんの妻真子の墓は墓地ではなく森の中に、1本の木として存在する。それは彼にとって妻は失われたのではなく、自然の一部として敷衍したということを意味する。彼はこの墓にやってくることで分の中に開いてしまった空洞を通じて自然一体化する。人間の由来たる自然に還るのだ。そしてその意味ではが息子を鉄砲水という“自然”によって失ってしまったということも象徴的だ。(このことが示唆されるシーンはこの作品の中で私が一番好きなシーンだ。というより、ここくらいしか見所はないかもしれない)
  ただ、これは当たり前のことだという印象もある。死んだ人の魂は自然に帰り、自然と一体化する。それは日本人の精神に深く根付いている感覚ではないか。死者はお墓にいるのではなく、森や空にいて、お墓という目印で生者と出会う。あるいはお盆の迎え火を頼りに生者たちの待つ場所へやってくる。生者はそんな使者たちを通して自然とつながる。言葉にするとなんだか宗教じみているが、これは宗教というよりは民俗的感覚ではないか。意識はしないが誰もが感覚的にわかっていること、そんな気がしてならない。
  この作品がカンヌで評価された理由は、彼女が見事にこの日本人の民俗的感覚を表現したからだろう。しかし、日本人には当たり前すぎてちっとも面白くないのだ。感覚的にわかっていることを感覚的に表現されても、それは意識の表層に何の細波も立てはしない。だからこの作品は面白くないのだ。“日本映画”として外国で上映されるにはいい作品だが、国内ではおそらく受けないだろうと思う。

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: 日本90年代以降

ホーム | このサイトについて | 原稿依頼 | 広告掲載 | お問い合わせ