モスキート・コースト
2007/6/24
The Mosquito Coast
1986年,アメリカ,119分
- 監督
- ピーター・ウィアー
- 原作
- ポール・セロー
- 脚本
- ポール・シュレイダー
- 撮影
- ジョン・シール
- 音楽
- モーリス・ジャール
- 出演
- ハリソン・フォード
- ヘレン・ミレン
- リヴァー・フェニックス
- ジャドリーン・スティール
発明家のアリー・フォックスは天才的な発明をするが、アメリカ社会を呪い、社会に適合しているとは言い難かった。そして彼はついに未開の民族を求めて、家族とともにジャングルに移住することを決意する。ホンジュラスのモスキート海岸へと移住した彼らは、奥地の村をひとつ手に入れ、そこに移住することに…
現代社会の物質文明への苛烈な批判を込めた人間ドラマ。本当にいやな主人公をハリソン・フォードが見事に演じている。
この主人公のアリー・フォックスはアメリカ社会に飽んで、未開社会を求めて“モスキート・コースト”へ行くわけだが、結局のところ彼は何を求めているのか。いきなり村を買い、そこに乗り込んでいって自分がやりたいように畑を作り、養殖用の生簀を作る。それは確かに村人の生活を豊かに下かも知れない。しかし、わざわざ畑を作って作物を作らなくても食べ物はそこらじゅうにいくらでもあるし、わざわざ養殖しなくても魚は目の前の川で取れるはずだ。
結局のところ彼はとにかく余計なものを付け加えるばかりなのであり、その際たるものが巨大な氷製造装置なのだ。彼は氷を作り、熱帯のジャングルの人々を喜ばせるが、それは本当に彼らに必要なものではない。彼らは彼らなりに熱帯に即した生活方法を築いてきたし、氷は彼らの生活を多少快適にしはするが、それは彼らの生活に必要不可欠なものではない。だから彼らはそれをすぐに当たり前のものと受け取るようになってしまい、アリーは失望する。
それはある意味では、彼が心底嫌う宗教と同じ類のものだ。氷は物理的に、宗教は精神的に生活を豊かにするが、それはどちらもわざわざ別の社会から持ってくる必要はないものではないか。彼と牧師のスペルグッドが反目するのは彼らが似ていて、先住民の人気を獲得するという同じ目的でジャングルにやってきているからだ。彼らの行動は16世紀17世紀に同じ土地にやってきたスペイン人とまったく同じである。金を求めてやってきた山師たちと布教を目的にやってきた宣教師、目的に変化はあるが、先住民が持つ旧来の権利を奪いに来ていることに違いはない。
この物語はアリー・フォックスという人物を通じて現代文明を痛烈に批判している。彼の他の社会への無理解と、テクノロジーへの盲信はまさに現代社会が世界を破壊してきたし、今も破壊し続けていることを象徴的に表す。文明は環境を破壊し、支配したような気になっているが、時に圧倒的な自然の力の前に屈服してその無力さを顕わにする。しかし、文明はその自然をコントロールしようとし続け、自然を不自然なものへと改変し続けようとする。
この作品の中で私にとっては最も印象的なショットだった氷製造機を俯瞰で撮ったショット(鬱蒼としたジャングルに銀色の箱が不気味にぽつんと立っている)は、文明の無力さと不自然さを一瞬で表現しているのだ。
この作品が作られた80年代は、まだまだ大量生産大量消費が当たり前の時代であり、この作品のような文明批判のやり方には新鮮さがあったのかもしれない。しかし、それから20年の間にこのアリー・フォックスのような人物がそれこそ何万人も現れて、反面教師として文明のあり方に疑問を投げかけてきた。
だから今となっては、この予定どの問題意識ではあまり知的刺激にもならず、その結果、この主人公アリー・フォックスはただただいやな奴になってしまっている。見ていて不愉快だしいらいらする。そんなキャラクターを演じたハリソン・フォードは評価できるのかもしれないが、あまり見てよかったと思う映画ではない。リヴァー・フェニックスの魅力も今ひとつ引き出されていない気がする。