霧の波止場
2007/6/29
Le Quai Des Brumes
1938年,フランス,90分
- 監督
- マルセル・カルネ
- 脚本
- ジャック・プレヴェール
- 撮影
- ユージン・シュフタン
- 音楽
- モーリス・ジョーベール
- 出演
- ジャン・ギャバン
- ミシェル・シモン
- ミシェル・モルガン
- ロベール・ル・ヴィギャン
- ピエール・ブラッスール
トラックをヒッチハイクした兵士のジャンは行く当てもなく町をさまようが、町外れにある酒場パナマでネリーという女性と出会う。朝、いく当てもないジャンとネリーは酒場を出て港を歩くが、そこでネリーが知り合いのチンピラのルシアンに絡まれ、ジャンがそれを追い払う。
基本的には恋愛映画だが、そこに射す影とエスプリの効いたセリフがフランス映画らしさを演出している。
この時代、ハリウッドはまさに黄金時代であったのに対し、ヨーロッパはナチスの影の下、暗黒時代といっていい時期だった。そんな中、フランスとイギリスだけが良質の映画を作り続け、現在まで見続けられている。しかし、その作風はやはりハリウッドとは大きく違う。スクリューボール・コメディなどによって確立されたハリウッドのスタイルとは異なる映画がここにはあった。
この作品は、そんなヨーロッパの独自性が非常によく見える映画だ。まず目に付くのは画面の構成の仕方の明らかな相違である。この頃のハリウッド映画(古典的ハリウッド映画)というのはある種の確立された“文法”に基づいて作られていた。たとえばそのひとつに「イマジナリーライン」というものがある。これは被写体とカメラの間に仮想的なラインを引き、カメラはその内側には入らないというルールである。これにより、カメラは登場人物たちを常に同じ方向から撮ることになり、切り返しのシーンでも、会話している2人をふたりとも正面から撮るということにはならない。ふたりとも横顔か、ひとりが正面でひとりが後姿ということになるのである。このルールは視点を安定させることで、観客に確固とした居場所を提供し、安心してみることができるようにするのである。
ハリウッドで確立されたこのルールは当時のフランスにはもちろんなく、この作品でも丸いテーブルに座った人々を次々と正面から撮るようなシーンがあり、その他にも視点が突然変わるようなカットも数多くある。今では、そんなことは当たり前なのだが、この時代の作品にそのようなシーンがあるとハッとする。何か“違うもの”を見ているような感覚になるし、そのつなぎ方が完成されていないだけに不安定な感じがするのだ。
それはやはり、この頃はハリウッド映画のほうが完成度が高いということである。黄金期のハリウッドはやはり世界の映画の中心だったのだ。
しかし、それでこの映画が面白くないということにはならない。古典的ハリウッド映画にはプロットの面でもルールがあり、それはたとえば、(恋愛映画でなくとも)最後には必ず恋愛が成就するというようなものだが、この作品はそのルールに従うことはない。だが、プロットに関してはフランスらしいよさがある。
悲惨な境遇にあるふたりの悲恋物語であるのだが、単にふたりが出会って恋をするというわけではない。それぞれに事情を抱え、それぞれに異なる心情を持つ。そしてその心理の動きが手に取るようにわかり、引き込まれていく。特にネリーというキャラクターは秀逸で、17歳という年齢特有の不安定さが非常によく表現されている。そしてそれを演じたミシェル・モルガンも素晴らしい(なんと、このとき本当に17歳だったという。とてもそうは見えないが…)
ジャン・ギャバンのほうもさすがにいい演技をしている。ジャン・ギャバンは当時のヨーロッパの数少ないスターの一人で、もちろん男前が売りなわけだが、もちろんそれだけにとどまらない存在感と表現力があったという印象だ。
この作品はすごく暗い。しかし、その暗さの中にわずかな希望や幸せが存在する。これは私の印象に過ぎないのだが、このような映画というのはすごくフランス映画らしいという気がする。それがときに笑えないコメディとなったりもするのだが、暗さの中にある明るさ、あるいはわずかな明るさがあるくらい物語を見ると「ああ、フランス映画だなぁ」と思うのだ。