腑抜けども、悲しみの愛を見せろ
2007/7/7
2007年,日本,112分
- 監督
- 吉田大八
- 原作
- 本谷有希子
- 脚本
- 吉田大八
- 撮影
- 阿藤正一
- 尾澤篤史
- 音楽
- 鈴木惣一朗
- 出演
- 佐藤江梨子
- 佐津川愛美
- 永作博美
- 永瀬正敏
- 山本浩司
- 土佐信道
猫を助けようとして交通事故にあい、和合曾太郎と加津子の夫婦が娘清深の目の前でなくなる。清深の兄宍道とその妻の待子が葬儀を取り仕切る中、東京で女優をやっているという長女の澄伽が数年ぶりに田舎に帰ってくるが、澄伽は女王様気取りの傲慢女だった…
三島由紀夫賞の候補にもなった本谷有希子の原作をCMディレクターとして実績のある吉田大八が監督、カンヌ映画祭“批評家週間”にも正式出品された注目作。
この映画は決してコメディではないのだけれど、いきなり声を出して笑ってしまった。それは、永瀬正敏演じる宍道(しんじ)がいきなり妻の待子を突き飛ばし、待子が床をごろごろと転がるシーンだ。なんてことはないシーンなのだけれど、その突飛さと大げささが笑いを誘うのだ。それは日常の1コマのようでいて、オーソドックスからは少し外れたもの、平穏な日常生活に潜む小さなギャップである。
この映画は全体を通してそのようなギャップで観客を笑わせる。澄伽のファッションも東京にいれば違和感はないだろうし、佐藤江梨子はさすがにスタイルがいいのだが、しかし田舎で田んぼの中をママチャリで走っていると、それは滑稽でしかない。
物語の中心にあるのは、妹の清深が描いた漫画である。これはまだ澄伽が高校生だった頃、東京に出ることを親に反対され、それでも女優になるためにクラスメート相手に売春をして資金をためていたのを清深が見つけ、それを漫画にしてしまったのである。それがホラー漫画雑誌のグランプリに輝き、澄伽は自分がそのために女優として成功できないと信じているのだ。
妹はこの澄伽の行動の周囲とのギャップの面白さに気づき、ついついそれを漫画にしてしまったわけで、このようなギャップを笑いのタネとするという点で、この映画とこの漫画には共通するものがある。しかもこの妹も姉に負けないくらいズレていて面白い。
この“ズレ”の笑いとしての面白さに加えて、ここに描かれる現実や人間関係にも面白みがある。平穏で平和に見える田舎にある陰湿さが描かれ、都会と同じようなぎすぎすした関係があり、欲得ずくの思惑がうごめいているのがじっとりと描かれているのだ。田舎というと牧歌的な風景やのんきで親切な人たちというステレオタイプで描かれることも多いが、この作品はそれを覆してリアルな人間を描き出している。
そして、和合家の中の関係もなかなか面白い。それぞれが非常に個性的なキャラクターであるにもかかわらず、バランスが取れていて、しかもそれぞれが二面性を持っている。特に待子は面白キャラクターだ。お人よしとして登場した待子だが、作る人形は不気味だし、話が進んでいくと意外な過去も明らかになる。
結局、主プロットはあまり関係のない、このような細部がこの映画を面白くしているのだろう。美しい田舎の風景と同じように、このような人物描写も物語の背景として重要なのだ。
笑いの部分では奇抜とも言える突飛さを見せながら、地の部分では緻密なリアリズムに徹する。清深のキャスティングや展開の強引さに難がないわけではないが、笑えるし面白い。おそらく本谷有希子の原作のよさと、監督の吉田大八がCMで培った瞬発力がうまく合わさった結果だろう。
この作品は本谷有希子の劇団「劇団、本谷有希子」(プロデュースのみで専属の役者を持たない劇団)の第1回作品だった。この公演は2000年で、本谷有希子は1979年生まれだから、なんと21歳のとき、もしかしたらとんでもない天才なのかもしれない。