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僕と未来とブエノスアイレス

★★★.5-

2007/8/25
El Abrazo Partido
2004年,アルゼンチン=フランス=イタリア=スペイン,100分

監督
ダニエル・ブルマン
脚本
ダニエル・ブルマン
マルセロ・ビルマヘル
撮影
ラミロ・シビータ
音楽
セサール・レールネール
出演
ダニエル・エンドレール
アドリアーナ・アイゼンベルグ
ホルヘ・デリア
セルジオ・ボリス
シルビナ・ボスコ
ディエゴ・コロル
preview
 ブエノスアイレスあるガレリア(商店街)、アリエルは母が営むランジェリーショップを手伝っていた。そのアリエルは同じ商店街で働くミッテルマンと共にヨーロッパに移住しようと計画し、祖父母の祖国ポーランドの国籍を取得することにする。
  ブエノスアイレスの少々寂れた商店街を舞台に、そこで暮らす人々を描いた群像劇。ベネチア映画祭で審査員特別賞と男優賞を獲得した。
review

 いい映画というのは、その作品世界に引き込まれるということも重要だが、その映画自体からはみ出ていくということも重要だと思う。はみ出ていくとはつまり、その映画の中の世界で完結するのではなく、現実へとつながっていくということだ。映画を見てカンフーを始めたなんてことでもいいし、戦争について考えたなんてことでもいいわけだが、ただ見て終わりではなく、見たあとに何かが残る。それもいい映画の条件だと思う。
  この作品は見ていると退屈だけれど、映画からはみ出していくものはある。群像劇というのは概してそのようなものだけれども、この作品もその例に漏れず、そこに登場する人々の人生が余韻として残り、われわれの現実との類似がわれわれの思考を飛躍させる。
  この作品はそれだけでなく、ブエノスアイレスという街についても考えさせられる。決して栄えているとはいえないアーケード商店街にはさまざまな人が暮らし、さまざまな人間関係があり、出て行こうとする人もいれば、やってくる人もいる。細々とではあるにしろ何十年も続いているこの場所はまさにブエノスアイレスの縮図なのだろう。ここで描かれているのは主にユダヤ人コミュニティだけれど、その中にもさまざまな人がいて、都市の流動性をあらわにする。
  都市というのは流動性がなければ栄えない。ブエノスアイレスというのは南米で1,2を争う大都市なわけだが、そこはやってくる人も多ければ、出て行く人も多い流動的な都市なのだろう。ニューヨークなんかもそんなイメージが強い。東京はどうかと考えると、東京は人が入ってくるばっかりでなかなか出て行く人はいないように思える。出て行く人といえば海外に飛び立つか、リタイアする人という感じで入ってくる人と比べると極端に少ないようにも思える。東京に閉塞感のようなものが感じられるのは、そのようにしてして人の流れが淀んでいるからかもしれない。
  新陳代謝が活発な都市は治安は悪くなるが、新しい刺激には満ちている。東京は世界屈指の大都市としては治安がいいが、その分、新陳代謝は弱いのかもしれない。

 そんなことを考えながら、この商店街というのもある種の閉塞感に覆われているのではないかとも思う。とても栄えているとはいえない状態で数十年が過ぎ、人もあまり変わらない。アリエルのような若者がそこから出て行こうと考えるのはある種必然的な結果だろう。しかし、アリエルの兄ジョセフが隣の商店街と競走をやると言い出し、古参の店主のひとりオズワルドが店を売ると決めて、商店街には少し動きが生まれる。アリエルがポーランドにいこうと考えて動き始めたことも、祖母をはじめとした家族に変化を生む。
  この作品は群像劇であり、家族を描いたヒューマンドラマであるわけだが、同時に都市や町というものの本質もついているような気がする。人間を描くとき、その人が暮らしている場所を抜きにして描くことはできない。ただ滞留している場所ではドラマは生まれない。だからドラマは新しく移り住んだ場所や、新たに人がやってきたという状況や、あるいは移動し続けるロードムービーという形から生まれる。この作品の場合は主人公が自らその動きを生み出そうとするところから生まれる。
  退屈な群像劇のようでありながら、この作品はその世界からはみ出し、都市とドラマについて考えさせる。面白いと絶賛するような映画ではないが、いい映画だ。

Database参照
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監督順: 
国別・年順: アルゼンチン

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