愛しきベイルート/アラブの歌姫
2007/9/12
Fairuz, We Hielden Zoveel van Mekaar
2003年,オランダ,80分
- 監督
- ジャック・ジャンセン
- 脚本
- ジャック・ジャンセン
- 撮影
- マルティジン・ファン・ベーネン
- 音楽
- ファイルーズ
- 出演
- ファイルーズ
レバノン人に何十年も愛され続け、今も毎朝その歌声が流れる歌手ファイルーズ、彼女を愛するレバノン人たちは、内戦のときも、そこから立ち直ろうとするときも彼女の歌に励まされてがんばってきた。
作品はベイルートに住む人々に対するファイルーズに関するインタビューで構成される。
私はファイルーズという歌手のことはまったく知らなかったし、レバノンについてもニュースで聞きかじったくらいのことしか知らなかった。だから、この作品をレバノンの国民的歌手だというファイルーズを通してレバノンという国とその内戦について知ることができるかと思って見てみたのだ。しかし、期待は見事に外れた。この作品はあくまでもファイルーズという歌手についての映画であって、彼女がいかにレバノンの人々に愛されたか問うことを語ったものだった。そして、その前提となるレバノンの状況についてはあまり語られることはなく、基本的なことを知らないとなかなか状況を理解するのが難しいものだった。
それでもファイルーズの歌声はよかった。民族的というか、その土地の人々のソウルを感じさせる歌声で、曲調はどこか民謡や演歌を連想させる素朴だが力強いものだ。
キリスト教徒イスラム教の対立により内戦がおき、今もその対立が続いているレバノンで、キリスト教徒であるファイルーズは宗派を超えて愛されているらしい。そのことを見ながら、もっとレバノンについて知りたいし、知らなければならないと感じた。映画がレバノンの状況についてもっと説明してくれたほうがよかったとは思うけれど、こうやって映画がきっかけになって何かアクションを起こすというのも、映画が単なる娯楽ではなく社会とかかわるものだということの証左であるだろう。
私にとってはこの映画は未知のものに触れる機会であり、その道だったものをさらに知りたいと思わせる誘引となった。レバノンについて、そしてファイルーズについてた小なりとも知っている人が見たならば、この映画はどのように映るのだろうか。ここに登場したドルーズ派やシリア正教、レバノンとイスラエル、シリアとの関係についてもう少し勉強してからもう一度見てみてもいいかもしれない。
というわけで、まずはレバノンという国の状況と内戦について調べてみる。これは映画そのものとは関係ないけれど、ぜひ興味を持って読んで欲しい。
レバノンは第1次大戦後、フランスの委任統治かとなったシリアからキリスト教徒の多い地域が切り離されてできた。第2次大戦後に独立、キリスト教マロン派、イスラム教ドルーズ派を中心にイスラム教スンニ派、シーアは、キリスト教ギリシャ正教徒などからなる多宗派国家となった。独立後しばらくは各宗派の勢力均衡に基づいた一応の平和が保たれていたが、1970年にPLOがヨルダンを追放され、レバノンに大量に流入してくるとPLOに対抗できないレバノン政府はPLOに事実上の自治地域を提供、これがイスラエルの反感を買い、イスラエルの攻撃を受ける。この事態に対してマロン派を中心とする保守派はイスラエルとの強調を主張、大してドルーズ派を中心とするイスラム勢力はイスラエルとの対立を主張して対立が激化、1975年についに内戦に発展した。
1975年4月、ベイルート市内でキリスト教徒とPLO支持者の武力衝突が発生、これを機に戦争状態に入ったベイルートは東西に分裂、市の中心に「グリーン・ライン」と呼ばれる分離帯が築かれた。イスラム側が内戦を有利に進める中、イスラム左派の過激路線を危惧したシリアがレバノンに侵攻、内戦は沈静化に向かう。しかし、キリスト教マロン派内ではシリアに対する反発が強まり、マロン派、ドルーズ派+PLO、シリア軍の3者が対立する事態となる。マロン派はこの事態の打開のためイスラエルの介入を要請、1978年イスラエル軍が進行し、シリア軍を駆逐した。イスラエルは傀儡政権を立てて撤退するが、その後もレバノンを巡るシリアとイスラエルの対立は続き、1982年再び本格的な戦闘が始まる(レバノン戦争)。
この戦争に対してはアメリカ、イギリスを中心とする多国籍軍が介入、戦闘は一時的に沈静化するが、何戦の火は消えず、対立は細分化し、テロや小規模の戦闘が繰り返されるようになって泥沼化の様相を呈する。この内戦と、政治的駆け引きは約10年間続くが、1988年にアミン・ジェマイエル大統領(マロン派)の人気が終了となったのを機に、マロン派は反シリアのアウン軍事政権を立て、シリアはそれに対抗する形でムワアド大統領政権を立てる。
1989年、湾岸戦争にシリアが派兵、この見返りとしてアメリカはシリアにレバノン内戦終結を一任する。これに勢いを得たシリアは90年にマロン派政府軍を掃討、シリアは穏健なマロン派キリスト教徒であるエリアス・ハラウィを大統領に立てて、キリスト教・イスラム教双方を取り込んだ挙国一致の政府を樹立する。これによりレバノンには平和が戻るが、ヒスボラとイスラエルとの戦闘など局地的な戦闘はやまなかった。そんな中、2000年にはイスラエルが撤退、2005年にはシリアが撤退し、レバノンはついに外国勢力から自由になった。しかし、2006年にはヒズボラの兵士を拉致への対抗措置として空爆を含めた大規模な軍事行動を展開、国連の介入により3ヶ月ほどで撤退したが、まだまだ戦争の火種は消えていない。
ちなみに日本はレバノンの情勢に対しては静観の構えで、WHOやWFPを通じた人道的支援を除いては積極的な関与の姿勢は見せていない。
レバノンの状況は本当に混沌としていて、平和ボケした日本人の頭ではなかなか理解できない。このまとめもおそらく間違いや過不足が多くあると思うので、間違いなどがあったらぜひ教えてください。