さらばベルリン
2007/9/21
The Good German
2006年,アメリカ,108分
- 監督
- スティーヴン・ソダーバーグ
- 原作
- ジョセフ・キャノン
- 脚本
- ポール・アタナシオ
- 撮影
- ピーター・アンドリュース
- 音楽
- トーマス・ニューマン
- 出演
- ジョージ・クルーニー
- ケイト・ブランシェット
- トビー・マグワイア
- ボー・ブリッジス
- トニー・カラン
1945年、解放直後のベルリンに入った記者のジェイク・ゲイスマーは早速財布を掏られてしまう。その財布を掏った運転手のタリーはベルリン混乱を利用して金儲けをしていたのだ。そしてタリーは米軍がブラントという男を捜していると知り、それを利用して金儲けをたくらむが、実はそれは恋人のレーナの夫だった。
ソダーバーグとジョージ・クルーニーのセクション・エイトが40年代の映画にリスペクトをささげて作った懐古的フィルム・ノワール。
映画は解放直後のベルリンを記録した米軍の記録フィルムで始まる。そして、映画の途中でも時折その記録フィルムが挿入されるのだが、作品全体がそのフィルムと調和するような映像で作られている。簡単に言えば、コントラストの強い白黒画面、白い部分は空白のように白く、黒い部分は闇のように黒い。加えて画素の荒さのように感じられるノイズが入り、まさに40年代のフィルムであるかのように見えるのだ。さらには、音楽の使い方も大げさな感じが非常に40年代っぽい。40年代のフィルムを再現するという観点から見ればこの映画はほぼ完璧だろう。
しかし、肝心の内容のほうはどうか。内容のほうも40年代風のフィルムノワールで、ハードボイルドな男とファムファタル的な女が登場する。しかし、まず思うのはこの主人公のジェイクはいったい何をしたいのかという疑問だ。ケイト・ブランシェット演じるレーナにほれ込んでいるという設定だと思うのだが、このハードボイルドな男からはそのような空気がなかなか伝わってこない。ジェイクは結局レーナの愛を求めているのか、それとも真実を求めているのか。私にはこのジェイクという男は隠された真実を知った上でレーナを求めるかどうか決めようとしているように見える。レーナのほうはジェイクを求めているのだという様子は見える。しかしそれが愛なのかどうかはわからない。
結局のところこの映画の問題は、これがラブストーリーなのか戦争映画なのかはっきりとしないという点にあるのではないか。ラブストーリーなら(結末はどうあれ)さまざまな障害がありながら愛の成就に向けて進むし、戦争映画ならば感情が邪魔になりながらも真実をあくまでも追求する。もちろん物事はそんなに単純ではないし、人間の心もそんな簡単な論理で動いているわけではない。しかし、この作品はストーリーを複雑にすることによって焦点が定まらなくなってしまっているように思える。それも(最後に恋愛の結末を持ってくることで主プロットのほうの結末をあいまいにするという)40年代のハリウッド映画らしさなのかもしれないが、それにしては“甘さ”が足りなかったのではないか。
結末を見ると“戦争”について語るという点では考えさせられる作品ではある。さまざまな経験をしながらナチスに支配されていたパリを行きぬいたユダヤ人の女と戦時のベルリンを経験せずに突然帰ってきた男、このふたりの間の経験の差はあまりに大きい。それがこのふたりの間に断絶を作り、決して理解しあえないまま物語は展開して行っていたのだ。この断絶は確かにわれわれに何かを投げかける。しかし、複雑な展開の物語、様々なものが隠された物語にしては、最終的に投げかけられるものは単純すぎないか。
戦争の生々しさは多少描けているとは思うが、それがなかなかしみてこない。ハードボイルドに迫るのか、社会派で真実を追うのか、それをはっきりさせなかったことで、なんとなく中途半端な印象になってしまったところがこの作品がどうもしっくり来ない最大の理由かもしれない。