パンズ・ラビリンス
2007/10/3
El Laberinto del Fauno
2006年,メキシコ=スペイン=アメリカ,119分
- 監督
- ギレルモ・デル・トロ
- 脚本
- ギレルモ・デル・トロ
- 撮影
- ギレルモ・ナヴァロ
- 音楽
- ハビエル・ナバレテ
- 出演
- イバナ・バケロ
- セルジ・ロペス
- マルベル・ベルドゥ
- ダグ・ジョーンズ
- アリアドナ・ヒル
1944年スペイン、内戦で父を亡くしたオフェリアは身重の母と再婚相手のビダル大尉がゲリラとの構想の根拠地としている山間部の屋敷へと引っ越す。その夜、オフェリアは昆虫の姿をした妖精に導かれて迷宮の奥へと進み、そこで彼女は自分が魔法の国の王女の生まれ変わりだと告げられる…
『デビルズ・バックボーン』のギレルモ・デル・トロが監督したゴシック・ファンタジー・ホラー。ファンタジーとは言えども、グロテスクで、深い作品。
主人公はおとぎ話の世界にあこがれる女の子だが、時代は第2次大戦末期、ドイツ、イタリアの支援を受けたフランコが内戦に勝利したことで混迷を極めるスペインが舞台とあって、単純なファンタジーとはなりえない。しかも主人公のオフェリアは父を内戦で亡くし、母の再婚相手であるビダル大尉の下で暮らすことになり、そのビダル大尉なる人物が冷酷無比の冷血漢と来る。頼るべき母も臨月で旅した影響で対象を崩し、おとぎ話の世界に逃げ込もうとする娘に「魔法など存在しない」と言い聞かせる。
そのような状況の中で少女が緑色の体をした少し気持ち悪い妖精に導かれて迷い込んだおとぎの国には山羊の化け物のような恐ろしい姿をした“パン”という守護神がいて、彼女が魔法の国の王女に戻るための試練を与える。
このあたりまでは、宮崎アニメの実写版という感じもある。宮崎アニメというと「かわいい」印象が強いが、じつはそこにはグロテスクなものも結構含まれている。『風の谷のナウシカ』にも『千と千尋の神隠し』にもグロテスクなクリーチャーが登場するが、ソフトな画風によってそのグロテスクさが薄められているというだけなのだ。この作品の場合はそのグロテスクなクリーチャーをリアルに実写化することで気味の悪さが目立ってしまっているわけだけれど、グロテスクなファンタジーという点では宮崎アニメと通底する部分があると思う。
私はこの世界観は結構好きだ。宮崎アニメでも、のどかなものよりもどこかグロテスクだったり、辛らつだったりするものが好きだけれど、ファンタジーというのはただ幻想を垂れ流すだけでなく、どこかでグロテスクであったり、現実への批判を込めてあったりするほうが面白いと思う。その意味でこの作品は面白く、大人の鑑賞にも堪える作品だと思う。
大人のためというわけではないと思うが、これはすべてが少女の空想であったと片付けることも可能な物語だ。おとぎの国を見たのは少女だけだし、最後にはパンがビダル大尉の目には見えないということも明らかになる。頼るものもいない厳しい生活の中で、少女が空想に逃げ道を見出し、自分が魔法の国の王女の生まれ変わりと信じることで現実から逃避する。それが空想ではないということを括弧にするために、彼女は無意識にドレスを汚さざるを得ない状況を作ったりして行く。
しかし、それがすなわちこの魔法の国が存在しないということを意味するわけではない。この魔法の国はオフェリアの頭の中には確かに存在したのである。それは彼女の空想の産物であるということもできるのかもしれないが、あるいは何かが彼女に働きかけたと考えることもできる。多くの人の目からは隠されたものが彼女の前にだけ現れた、そう考えることも不可能ではない。
その証拠に終盤、オフェリアは閉じ込められた部屋から見事に抜け出す。その場面は映されていないが、彼女が魔法によって部屋から抜け出したのではないかと考えられるように物語は構成されている。目に見えない世界とこの世界がどこかで接合しているとして、それがオフェリアという少女だったと考えることもできるのだ。
そう考えると、この作品はSFに近いのかもしれない。そもそもSFとファンタジーとは“空想”という部分で共通点があるものだし、この作品の雰囲気はSF映画の奇才クローネンバーグを髣髴とさせるものもある。また、ギレルモ・デル・トロはSF作品も手がけてもいる。文学に目を向けてもSFとファンタジーを両方手がける作家もいるし、SFに基盤を置いたファンタジーというのは単なる空想を描いたもの養鯉も面白いことが多い。
ファンタジーではあるけれど、小さい子供が見たら泣いてしまいそうな映画、それは大人の空想力を高めるファンタジーとSFの間にある作品のようだ。