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20th TIFF

誰かを待ちながら

★★★--

2007/10/17
J'Attends Quelqu'un
2007年,フランス,96分

監督
ジェローム・ボネル
脚本
ジェローム・ボネル
撮影
パスカル・ラグリフール
出演
ジャン=ピエール・ダルッサン
エマニュエル・ドゥヴォス
シルバン・ディユエド
フロランス・ロワレ=カイユ
エリック・カラヴァカ
preview
 フランスの田舎町でカフェを営むルイは馴染みの売春婦と逢瀬を重ね、その妹アニエスは最近夫との関係がうまくいっていない。その町に2年間の旅を終えて帰ってきた青年ステファンはかつての恋人らしき女の家に無言電話をかけ、その家を除き見る。
  小さな田舎町を舞台に、そこで暮らす人々が抱える孤独を描いた佳作。『明るい瞳』のフランス若手監督ジェローム・ボネルのいかにもフランス映画らしい映画。
review

 私は時々、映画を見ながら「哲学を忘れているのではないか」と思うことがある。その哲学とは「人生哲学」というように言う場合の哲学ではなく、純粋に何かを突き詰めて考えるという哲学だ。そのように思うことはフランス映画に特に多いが、この作品もそんな作品のひとつだった。
  かといってこの作品が哲学的な作品かというとそうでもない。この作品は簡単に言えば“孤独”の物語である。人は孤独にどうしようもなく惹かれるけれど、同時に孤独から逃れて大切な人と触れ合いたいと思う。そのような人間と孤独の関係をただただ繰り返し描くのだ。

 主人公のルイは、段々わかってくるのだが、妻と別れまだ小さな子供は母親と暮らしたまに彼の住居兼仕事場(カフェ)にやってくる。そしてまた彼には馴染みの売春婦のサビーヌがいる。そのルイの妹アニエスは小学校の先生で新聞記者の夫と幸せな生活を送っているが、その夫との関係がこのところ今ひとつうまく言っていない。2年間の旅を終えて故郷に帰ってきた青年ステファンは昔の恋人らしい女性に声をかけられず、彼女の夫らしい男と何とか友達になろうとする。
  彼らに共通するのは心に空白を抱えているということだ。その空白を埋めてくれる「誰か」を彼らは待っている。だからこの作品は『誰かを待ちながら』というタイトルなのだ。
  しかし、この作品はただそれだけだ。3人の誰かを待っている人の数日間をただただ映し出しただけだ。それぞれの人生のときは進み、小さな事件はいくつかおきるが彼らの空白は埋まらないまま淡々と物語は進んでいく。そうなると、どうしても考えてしまうのは、彼らが抱える空白に巣食っているものは何かということだ。そして、それが“孤独”である。彼らはその空白を埋めようとするのだが、そこに巣食っている“孤独”もどこかで失いたくないと思っている。だからこの物語は進まず、彼らは孤独なままなのだ。
  これはいったい何なのか。単なる停滞なのか、それとも小さな一歩なのか、あるいは人生とはそもそもこういうものなのか。この物語はそのようなことを観客に考えさせる第一歩なのだ。だから、この作品自体に哲学がないとしても、観客はここから哲学の深みに入り込んでしまう。

 この作品の持つ意味を解くにはおそらくルイの愛読書として何度も言及される「感情教育」を読む必要があるのではないかと思う。私も概略しか知らないのでそこから解き明かすことはできないのだが、この映画の物語と「感情教育」とは少なからず重なり合う部分があったと思う。
  「感情教育」は小説だが、フランス映画は哲学や小説に言及するのが好きだ。それはフランス映画が映画だけに終わるのではなく、常にその外側へとつながっていっていることを意味している。映画の中で描かれているのは見ている自分とは関係ない別世界の出来事ではなく、実生活の写像なのである。人はそれを哲学を通じて理解することができる。
  この作品の物語は「だからなんだ」と言いたくなるようなものであり、はっきり言って退屈といいたくなる部分もある。しかし、その退屈にこそ哲学があるのかもしれない。退屈した観客が映画から飛躍して何かを考える、それがこの映画の楽しみ方なのかもしれない。

Database参照
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