ラッキー・マイル
2007/10/26
Lucky Miles
2007年,オーストラリア,105分
- 監督
- マイケル・ジェームズ・ローランド
- 脚本
- マイケル・ジェームズ・ローランド
- ヘレン・バーンズ
- 撮影
- ジェフ・バートン
- 音楽
- トマス・ブルーマン
- 出演
- ケネス・モラレダ
- ロドニー・アフィフ
- シーサック・サックプラサート
密入国船に乗ってオーストラリアにやってきたカンボジア人とイラク人12人だが、下ろされた場所は何もない砂漠でそれぞれ分かれて当てもない旅をすることに。その中でカンボジア人のアランとイラク人のヨシフがひとり集団から離れることになる。そしてふたりは出会うのだが…
異なる国からやってきた3人が繰り広げる奇妙な道中をユーモラスに描いた社会派コメディ。監督のマイケル・ジェームズ・ローランドはこれが長編デビュー作となる。
浜辺に下ろされた12人の密入国者たち、彼らが眼にするのは果てしなくなにもない荒野、しかし彼らに選択の余地はなく、カンボジア人とイラク人の二つのグループはそれぞれ充てもなく歩き始める。その台地はあまりに広大すぎて人間の姿はちっぽけでおかしく思えてくる。主人公のふたりアランとヨシフはわけあってそれぞれのグループから離れることになり、一人旅を続けざるを得なくなる。一人ぼっちの人間にとってこの荒野は絶望的過ぎ、であったふたりは不安から仕方なく道連れになる。
この荒野の中でふたり(後に3人)はあがき、小さな希望にすがって歩き続ける。しかしやはりこの荒野は広大すぎ、その先には絶望しかまっていないように思える。アランの当てにならない地図も、ラメランの根拠のない自信もはかない希望を保つための方便でしかない。しかし、このちっぽけな人間はこの絶望の中でも希望を捨てず、一喜一憂を繰り返す。この姿がなんともおかしく、ほほえましくていい。もちろん極限状態では人間のいやな部分も出てくるけれど、人間は絶望の中の本のわずかな希望でも幸福になれるものなのだということもわかる。
こういう物語では、だいたい彼らの間に友情が生まれるもので、この作品もそんな作品のように見えるのだが、私は必ずしも彼らの間に芽生えた感情は友情ではないように思えた。それは友情を含めた人間関係、人間と人間とのつながりについて考えさせられるものだが、友情というよりは運命共同体としての共感、自己愛の投影としての愛情がそこにはあるのではないかと思うのだ。
ここで出会うのはまったく異なる環境でまったく異なる生活をしてきた人間同士である。そのような人間同士が出会ってまず生まれるのは拒否/拒絶である。それは相手を理解できないことから来る。オーストラリア人の兵士達が彼らの不可解な行動を見て、スパイではないかと的外れな想像をしたように、相手の行動の真意が理解できないのだ。間違った素材から生まれた想像は大体的外れだ。自分とはまったく異なる基盤を持った人について、自分自身を基準にして想像してしまってはそれは的外れなものになってしまう。しかし人間はそのようにして先入観を抱き、相手を警戒するものだ。この2人/3人の間でも最初はそのような警戒心が生じる。
しかし、この極限的な旅の中で同じ行動をすることによって共通する部分を見出し、少しずつ相手のことが想像できるようになる。そのようにして始めて相手を受け入れることができ、自分のことを思うように相手のことを思ってそこにつながりが生まれるのだ。
あらゆる人間関係には常に先入観と誤解が入り込む。この作品はそれを最大限に誇張したものだ。ここまで極端な拒絶や誤解が生まれ、それが劇的に瓦解するということは日常ではないわけだけれど、その小さなバージョンは日々繰り返し起こっているのだ。
この作品はコメディというか、基本的に喜劇だけれど、そのおかしさは私達が日常的に他者と接する中で感じるおかしさを拡大したものである。背景にはさまざまな政治情勢があるのだが、それはまったく感じさせず、ユーモアあふれる人間ドラマに徹したことでこの作品はいい作品になったし、考えようと思えばその先(1990年のカンボジアとイラクについて)を知るきっかけにもなる。
彼らはみな難民として受け入れてもらえたのだろうか。日本だったらおそらく本国に強制送還か、よくても第3国に出国という形になったのではないかと思う。移民国オーストラリアなら、彼らを受け入れてくれたのではないかと願いたい。